再考:涼宮ハルヒの憂鬱 第12話「ライブアライブ」

いかんな。日に一回はこの話を見返しているような。すでに他のアニメの視聴後回しで見返してるんで遅々として他のアニメの視聴が進まなくなる始末。こんな時期に、こんな素敵文化祭の話をやるなんて生殺しだッ!そろそろ何も手がつかなくなるよ、チクショウ。高校生に戻りてー!!!!!!!


そんなライブアライブですが、各所で祭りが色々と勃発してるようですね。そして色々と感想、意見が錯綜しているようですが、私的に感銘を受けたのが
http://fujimaki.air-nifty.com/mousou/2006/06/12_db37.html

http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20060622/p4
ですね。いや、本当に凄いです。尊敬します。私もこれくらい深く踏み込んだ考察を目指したいものです。


この二点の考察を読んで、私の感想の場合「キョンの視点から見たハルヒの成長物語」という視点に執着しすぎているが故、古典的成長の図式に囚われすぎていたことと、個人としてのハルヒキョンのボーイ・ミーツ・ガールの物語を完全に見落としていましたね。
これが以前の私の感想ですね。今考えれば、キョン視点からの語りが根本的に欠けた感想…。しかし、各種考察を見たところ、そこには作り手側の詐術が作用していたようで、次回予告コールのときハルヒは「時系列順」、キョンは「放送順」にコールすることの意義は「アニメの放送はキョン視点の物語であって、時系列順(DVD収録順)はハルヒの立場からの物語になっている」という説もあるようです。(すいません、わりと前のことなんでソースがありません)そのことを加味しつつ、上記二つの考察を読んでみると、

  • 放送順=キョンの見守る側の視点から見た、ハルヒの人間的成長を見守る物語
  • 時系列順=ハルヒの立場から見た、キョンと出会ってから彼との関係が深まっていく過程を描いたボーイ・ミーツ・ガールの物語

という図式が成り立つようにも感じられます。
放送順に関して、確かに今回放送時のキョンの「人から感謝されることに…」の台詞は成長を喜ぶ保護者のような慈愛の視点で満ちているようにも感じられますね。それにミクルの冒険や孤島症候群を初めに配置する辺り、傍若無人な振る舞いのハルヒを最初のほうに固め、ライブアライブや憂鬱編のⅤ、Ⅵを配置して人間理解に目覚めたハルヒのエピソードを後半に詰めてくるのも、あたかも段階的にハルヒが成長を遂げたように見える構成と思えば納得。確かにライブアライブの後に射手座の日をもってきちゃうとハルヒの成長が無かったことみたいに見えてしまうわけで、なるほどとうなずいてしまう。
そして私もその構成に騙されてしまった訳で、前回の感想で12話を実質的最終回と位置づけましたが、そう簡単に人間変わる訳が無い。どんな物事でも一生その気持ちが続く訳でなくて、やっぱりどこか刹那的な高揚なんですよね。12話のライブシーンでLost my musicは演奏の途中のまま、演目の終了の場面が描かれないままに、次の学校の日に場面が移る。これが象徴することって、つまりハルヒにとっての演奏はまだ終わって無いってことですよね。いつまでもあの時の高揚が続いていて、そのときの達成感がいつまでも頭から離れない。
でも、やっぱりこの気持ちもいつかは色褪せていく気持ちであるのも事実。だから他者から認められる経験をした高揚の中にあるハルヒキョンに対する語り口はいつもよりずっと優しいですけど、射手座の日のころにはいつものハルヒ。そのときの気持ちでうんと優しくなったり、いらいらしたり、そんな当たり前の人間的心情を見落として、即ハルヒの成長と結びつけた前回の私の感想は甘かったと反省。
しかしながら、何も学び取らなかったとは私は思っていないですよ。だって、人一倍支配欲が強くて、団員の人権なんてこれっぽちも認めていないようなハルヒが、長門がコンピ研と関わりを持つことを認めたんですから。その理由はやっぱり自分が学祭演奏を通して、今までやらなかったことをやることでその人にとって新しい世界が開ける、長門にとってもそれは同じことだ、そう思えたからじゃないですかね。キョンがそう言ったからってのもあるでしょうけどね(笑)
話は戻って、時系列順に見たボーイ・ミーツ・ガールの物語について。それは当然ハルヒキョンと過ごした時間の話なんですから、色んな経験を積み重ね、少しずつ人間関係が変わる様を描いた「時系列順」が相応しいに決まっている。逆に言ってしまえば、放送順だとボーイ・ミーツ・ガールとしての涼宮ハルヒの憂鬱はすごく見えづらくなっていると思います。そして私はその点を見落とした(泣)
散歩で偶然出逢ったのでなく、窓からハルヒが見えたという指摘や、ネクタイでなく、キョンの手を握ったと言う指摘が意味するように、この二人は本人達が思っている以上に「恋に近い」意味でお互いを求め合っているのかもしれない。
でも、ハルヒはともかくとして、キョンに関しては「放送順の視点」が意味するように、ハルヒに対する態度を「ハルヒの保護者」と決め込んでしまっているのはイタイ(笑)私の場合、ENOZの人達と会話する横に立たされていたキョンは恋人って言うより、やっぱ保護者に映ってしまった訳ですよ。そういう意味でも、やっぱり涼宮ハルヒの憂鬱はボーイ・ミーツ・ガールの域を抜け切れず、「恋物語」にまで成長できずにいる。おい、もっとがんばれよキョンハルヒが他の訳分からん男に取られたら絶対キョンはへこむんだからさ。