再考 涼宮ハルヒの憂鬱
各所であの一話が話題になっているようで。私の中でもあの一話の評価が変わってきたので、再評価。
あの話、実は大変興味深いのではなかろうか。ボディブローのようにじわじわと効いてきました。
まず、あのOP。「恋のミクル伝説」。完全に頭から離れなくなった。結局気になってしまい、何度か聴き直してしまった。MP3に入れて何度も聴いています。本編は一回観ただけなのに、OPをあれだけ印象的に刷りつけてしまうのは実はすごいことではなかろうか?出だしの音楽に乗り切れず「みっ、みらくるっ!」になってしまうのと「空の彼方へ〜〜〜〜〜〜!!」がやはり忘れられん。超電波。
それと本編。あの話一つだけで完全に「朝比奈みくる」というキャラをプロモーションし切ったとも言える。キャラクターコンテンツとしてはあそこまで余分な要素を切り詰めたプロモーションは滅多に無いことに感じられてきた。きっとキャラの伝えるべき部分は全部伝えきったよ。あの話のせいで一ヶ月以上は朝比奈みくるのことが忘れられなくなったと思う。
一番気になってるのは、朝比奈ミクルの冒険をめぐる現象。感想サイトを見ても原作既読者はあの一話を大絶賛しているようだ。逆に私も含め、原作に触れていない人間はただ呆然としている場合が多い。この「身内だけで盛り上がって、事情が分からない人を置いていった雰囲気」が偶然にも涼宮ハルヒのアニメの自主製作映画という状況と被っていることが興味深い。この状況はオタクコミュニティのなんらかの現状を言い表しているようにすら思える。
つまりですね、原作既読者にしてみれば「俺たちの作品がしてやったぜ」という心境なのでしょう。「未読者がどう思おうが、あれは良くやった」という意見も多く見受けられる。
で、その「身内だけは最高のものを作ったと思っている」雰囲気が正直、鼻につく未読者もいたんじゃないでしょうか?作品を私物的に捉えてる集団から「分からない奴」のレッテルを押されてしまった訳ですから。だから思うのですが、原作既読者が「あれは面白いんだ!」と強く言うのはむしろ逆効果ですよ。
自分の作品と捉えてる原作既読者の「作品の私物化」思想が、言ってしまえば新参者の原作未読者に「見下されている」感じを与えてしまっているかもしれない。だから、もし既読者が未読者に作品を勧めたいのなら、面白さを押し付けちゃいけない。面白さを気づかせるためのヒントを散りばめるに留めるのが正解だと思う。
涼宮ハルヒの憂鬱が自主制作映画の状況をとおしてここまで表現しようとしたとは思わないが、この騒動は原作既読者と原作未読者の関係を見直してみるいい機会になるのではないでしょうか?