涼宮ハルヒの憂鬱 第8話「孤島症候群(後編)」 ★×6

正直なところ、最近の涼宮ハルヒの憂鬱はストーリーライン自体は初期の破天荒さに比べ、安易に落ち着いているので、筋を追うというより専らハルヒ探しのためにアニメを観ている次第であります。ハルヒ探しというのは彼女の人格のモザイクがかった部分を作中の言動や描写から埋めていこうという試みな訳ですが。
思うにこの作品はハルヒ人間性がどうなのかという点によって主題の多くは占められている。ハルヒという人格が受け入れられる事によって、何かが証明される。逆に言えば何かを証明するためにハルヒを肯定しようとしているというのですかね。ハルヒをあたかも偶像を崇めるように作中で絶対視されているのは、ハルヒ肯定を契機に元来避けて通られてきたnot自己犠牲の主人公にしか描けない価値基準、例えば社会にも一般の物語にも取るに足らないと切り捨てられてはきたものの、実のところ誰しもが持つ普遍的な潜在願望とか、それらを一作品を通して再発掘する試みだと私は考えています。このへんに関してはアニメの中でそれを示す決定的な描写があった時にでもまた話題にします。


それで、今回の収穫は「ハルヒとて人が死ぬことは望まない」ということですかね。正直なところ、ハルヒが人を望んで殺しただろう可能性は半々くらいかなと私は思っていましたが。あの子なら自らのアミューズのために他人を犠牲に出来ちゃうんじゃないのかと思いつつも、そうであって欲しくないという部分があった、という感じですね。というより、自分のアミューズで人を殺せる人間だったなら、多分ハルヒに対して諦めを感じていたんだろうな。
思うに、人間として守るべきと言われる「ルール」の大半なんて、「良き社会の人たる者」を量産するために唱えられる理屈ばっかりであって、まぁそれでも、それに従うのが最も合理的で、スマートな生き方な訳ですよ。実際のところ、別にそんなルール絶対に従わなくちゃいかん理由も実のところ存在しちゃいない訳ですが。故に従わないのがハルヒなんですが。けど、根底に人として(社会の人としてでなく)守らなきゃいけない絶対の法も数少ないけど存在している訳で。
何が言いたいのかと申しますと、つまりそれがハルヒの望むまいとしたものかな、と。人に死んで欲しいとは思わない。この「根底」までハルヒに欠けていたら流石に私も彼女には諦めを感じざるを得ない。そう思い、ハラハラしながら後編を待っていた訳ですが、取り越し苦労でよかったよかった。これで、ハルヒに人格破綻者のレッテルを貼るには少々早すぎると私の中では納得できました。
人としての重要な感情は持ち合わせながらも、これが常識と示されたものには馴染め切れない。ある意味最も人間らしさに満ちた彼女が最後、どんな軌跡を描くか。なにやら期待が高まってまいりました。