涼宮ハルヒの憂鬱 第13話「涼宮ハルヒの憂鬱Ⅴ」 ★×7

ああぁっ!!無理だろぉっ!!待ってても何も起こらねえよ!!何かやっても何も起こらねえよ!!
こういう鬱憤の最大の原因ってのは「世界が自分にどこまでも無関心」であることなんでしょうな。世界は残酷なんじゃなくて、個人に対してどこまでも無関心で、社会を動かすのに都合のいい歯車の存在に対してだけ歓迎的なその態度が鼻につく。別に個人ってレベルでどんな事件、悩みが起きようと、社会はどうでもいい。救われようが、救われまいが、そんなことは知らん。そういう諸般の諸々はどうでもいいから、社会に歓迎されたきゃ、大多数の「我々」に属した、つまらん人生を送れってこと。
奴の正体に気づいちゃったら、そりゃ、そんな「自分の気持ち」の問題に、どこまでもどこまでも無関心を貫き通す世界って奴のポーカーフェイスを崩してやりたいとは思うよな。世界の色んなルールから自由に生きている自分らしい私を見せ付けてやりたいよな。
それで必死にもがいてみせるハルヒも相当色々溜め込んじゃってるみたいで、例の閉鎖空間で破壊行為に耽ることで解消していた模様。
ハルヒの不幸は、「自分は特別じゃなくて、自分の目の前の生活も特別じゃない」ことを思い知らされるのが、あまりにも早すぎたことだと思う。本来なら思春期を経て、「仕方がない」という大人の呪文でどんなことでも諦められるようになっている高校生以降に思い知ることなんですよね、これって。小学生でこのことに気づいてしまっても、はいそうですかって諦められる訳が無い。
しかしながらこんな世界に埋もれてたまるかと、中学生に始めた色んなことが前回の第12話で活かされた結果、何かをやってると思えたわけで。世界は味方でもなけりゃ、敵でも無いでしょうが、皮肉にも特別になるために始めた努力が、結果的に社会の人間らしい達成感に結びついた訳で。
何が言いたいのかと言うと、「例え自分がやってることが大多数の中の一つだとしても、それを私にとっては唯一無二の生き方だから、それは私らしさ」という結論に落ち着かないで、ハルヒらしくどこまでも突き抜けてもらいたいな、そんな風に思うわけですよ。