まとめ:涼宮ハルヒの問題「ハルヒは舞台に上がらない」

http://d.hatena.ne.jp/PEH01404/20060703/p3
http://d.hatena.ne.jp/PEH01404/20060704/p3
この二つの考察には感動しました。涼宮ハルヒという作品から感じるエヴァ的な空気の意味はそういうことだったんですね。閉じた世界(それがハルヒでは閉鎖空間であり、エヴァでは補完された世界である)を切り開いて、どうやって本物の他者(ハルヒにおいてはキョンハルヒという男女、エヴァではシンジとアスカという男女)と出逢うか、その点に類似し、ハルヒエヴァので乗り越え切れなかった*1本物の他者との出逢いという問いに対する解答を示しえたと言う訳ですよね。なるほど、そう考えると腑に落ちる。
それに触発されて、論考をひとつ。


ハルヒが抱える「社会の大勢の中の一人になって、無個性な人間として溶け込んでしまうことへの嫌悪」というのは、深層的には「数多くの人間と比較されて、その中の誰かよりも自分がある面(人間関係、才能、充実した毎日、など)において劣っていることを思い知らされるのを回避するため、他人の存在を物理的な障害として物のように置き換えて、自分の目には自分以外の『人格』が認知できない状況を作り出した」ことで発生したのだと、考えているんですよ。それが涼宮ハルヒの抱える問題の、最大の原因だと思う。
他人を抹消した世界の中でなら、自分が唯一無二の尺度であり、自分がオリジナルの、自分がそこにいるだけで自分らしくあれる世界になるわけです。「自分らしさが世界に消されちゃうくらいなら、じぶんのために世界が消えちゃえ!」って発想ですね。
この「自分の存在の唯一性の主張」という、人間普遍の願望こそがこの作品を担う最たるテーマだと、私はそう捉えています。そういう意味ではどんな人間もこの作品の言わんとするところを無視し切れない。


でも、世間一般の大多数の人はどのあたりから世間一般に埋没することに甘んじるようになるのか。多分それは「常識に飼いならされ始めた時」じゃないでしょうか?常識の存在が「多くの人の行うように振舞って、出しゃばって恥ずかしい思いをしないように、沢山の中にうまく溶け込みなさい」とささやいてくる訳ですよ。でも、逆に言えば「常識に逆らい続ければ」社会には溶け込まず、出しゃばることが出来る。そこにハルヒの奇行ともとれる数々の行いの理由がある。
突っぱねた行動の先には「問題児」のレッテルが貼られるが、それすらもハルヒにとっては勲章であったのでなかろうか。それは常識的に良しとされない禁止を犯すことで、自分の唯一性を実感していた。バニーガールの恰好でビラまきをして先生に止められたり、屋上で花火をやって先生に止められたり、それは自分らしい行動の結果、発生した弊害でなく、むしろその「止められる」という行為を跳ね除けることにこそが、自分らしさの主張ではあったのでなかろうか。実際、ハルヒは懲りずに文化祭ではバニーガールでビラをまいていた。*2これは常識という存在への、ハルヒの「宣戦布告」であろう。
このようにして、社会の尺度を徹底的に否定することで、社会と言う「大勢の人がひしめき合う舞台」に上がることをかたくなに拒絶した。ハルヒは舞台に上がらないことで、オンリーワンを目指した。


ハルヒはオンリーワンだけでなく、ナンバーワンたりえるためにも、様々な排除を行っている。朝倉とハルヒとの相性が悪く見えたのは、朝倉と言うなんでもそつなくこなす存在が、自分の能力的優位性を脅かす危険があったから、故意に自分の世界から排除した結果でしょう。あまりにもそれが自然に行われたから気づかないが、ハルヒは人間的に優れた存在を自分の周りに極力配置しないようにしている。その最良の例が、つまりSOS団です。

  • キョン。一見すると何の個性もない、平凡な高校生。一般レベルの人間。問題なし。
  • みくる。おどおどしていて、いかにも可愛いだけがとりえのダメ女。問題なし。
  • 有希。無口。コミュニケーション能力無し。問題なし。
  • 古泉。転校生だから、まだクラスに馴染め切れてない。問題なし。*3

こんな具合に、能力的にも、対人関係面でも、自分の地位を過剰に脅かす存在は決してSOS団には入れていない、実はあえて「ダメ人間」によって作られて集まりなのです。*4そうすることでハルヒは劣等感を感じずに済む。涼宮ハルヒの憂鬱Ⅰにおける、徹底的に他人を見下す態度は、どこか他人と上手く付き合えないことへの自己弁護、対人コンプレックスにも聞こえる。もう少し言ってしまえば、「この中に 宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら…」の台詞も、「そんなに特別な人はいないでしょ?」と他の人に問いかけると同時に、そんな特別な存在がいない状況に、自分よりも特別な経験をしてる人間はいまいと再認知し、自分を満足させているのだろう。心の底から宇宙人を望んでいたのとは、また違う意図がこの言葉には含まれている。


オンリーワン・ナンバーワンとしての涼宮ハルヒを目指した結果、ハルヒの世界から都合の悪い他人、他人の作ったルールの一切を消してしまった*5訳ですが、ハルヒはこのやり方に限界性も痛感している。涼宮ハルヒの憂鬱Ⅴで古泉によって述べられるように、ハルヒは常識的な尺度に囚われている「普通の人間」の一人です。そうすると、どんな状況でも突っぱねていればいつでもオンリーワン・ナンバーワンでいられる訳でもない。
そこでハルヒが取った手段が「他人にSOSを送ること」であり、それがこの作品の描かんとしてる本筋だと私は思っているのですが、それはまた今度、機会があるときにでも。

*1:私としては、決してエヴァは他者問題を乗り越えられなかったとは思いませんが、どうしてもあの作品には他者と向き合いきれなかったシンジの後味の悪さが残り、それが一般評価となっていると思う。

*2:学祭だから許されていたようですけど。

*3:実のところ欠点らしい欠点のない古泉は、後にハルヒの思うがまま「従属する」人間になることで、ハルヒとの上下関係をはっきりさせている。

*4:もちろん彼が超越した能力を持った集団であることはハルヒは知らない前提ですが。

*5:そのことは涼宮ハルヒの憂鬱Ⅵで見られた、ハルヒキョンしかいない世界に集約されている。