最終回アニメの諸々

とりあえず二つほど最終回になったんで、なにかしら言及してみますか。

途中からちゃんと見てNEEEEEEEEEEEE!!!!
全然ついていけねーよチクショウ。
最終回だけで見るとなんかいいアニメだったんじゃねえの?という感じはした。にしても専門用語がガンガン飛び交うから適当に流してた人間には何のことやらサッパリだぜ、こりゃ。
あと、シャナが助かった理由が「シャナの器がアラストールの全存在をうけとめた」ってのはやぶからぼうではないでしょうか?(私の知る限り)伏線無しに、そういう重大な出来事を決定する要因をその場で作ってしまうのは脚本の力の無さを感じてしまう。


作品全体で気になったのは、私がちゃんと見ていなかったというのを関係無しに、全体的にごちゃごちゃしてた感じがする。基本的にこの作品は「フレイムヘイズとしての非日常」と「シャナとしての日常」パートで構成されてる訳ですが、別々の目的で動いていた二つのパートが次第に一つの線上の出来事になり、最後には戦うことと、悠二と過ごすことが同一の意味を持つようになるって寸法ですよね。
だから、最初と最後はある程度理解できるんですが、その過渡期にあたる途中の話が二つのパートが交わりきらず、だからといって別でないという曖昧な描かれ方をしてたせいで、もう訳分からん。特に吉田一美にトーチのことがばれてからは本当に訳分からん。ある台詞がどの状況に対しての言及なのかとか、多々混乱する部分があった。それに最後はキャラが増えすぎて、も、もう無理や…。やっぱこの作品はある程度そのために労力を割く覚悟がないと厳しかったっす。

逆に、非常に分かりやすかったお話。愛とか友情とかを割りと安易に語る。
ていうか、落語関係NEEEEEEEEEEEE!!!!
全然歌丸出てこねーよチクショウ。
真面目な話をすれば、この物語は12話構成で、6人いるメインキャラが全員力に目覚めるまでに10話かかるという、実に稀有なケース。力の覚醒=そのキャラの成長の証な訳で、それを10話かけてゆっくりやり、残り2話で成長した彼女らに何が出来るかが試されたと、そういう話です。
ただ成長物語を描く事に固執し過ぎていて、エンターテイメント性が殺されていたと思う。やっぱり普通はさっさと覚醒させて、戦闘をぱぱっとやりたいですよね?そういう意味では、戦闘モノで成長に特化させた構成の実験作としての礎にはなったとは思うけど、その実験はやっぱり失敗したと考えるな、私は。
それと、キャラ個別の話が順番に回ってくるという構成だったんだけど、早々に順番が回ってきて覚醒しちゃったキャラは、その後完全にモブキャラと化していた。だから最終回で一人ひとりのその後を描かれたとき「こいつってこんな奴だっけ?」と思ってしまう奴が3,4人いた。一人ひとり時間をかけて丁寧に描いたのがむしろ仇になった気もする訳で、これは成長物語としては致命的でした。