ストロベリー・パニック 第26話「はじまり」 ★×7

思えば、キャンバス2のときのエリス、アリス輪舞曲のときのきらは、かしましのときのやす菜…私が念じれば、どんなに見込みなしになってしまったヒロインたちも最後には結ばれる。おおっ、これは一種の神の思し召しではなかろうか。そんな風に考えていたときもありました。
玉青ちゃん…illorz
いや、どこかでは分かっていたんですよ。玉青ちゃんとくっついても、それは大人の判断であって、好きだという心情的な判断に至らないということくらいはですね。戻らない過去と比べあうような恋は不毛だって言う理知的な判断以上のものが玉青ちゃんを後押ししていなかった。心の上ではもとから軍配は静馬様に上がっていた。
成長するため、傷つかないようにするため、未来のため、いくら玉青ちゃんを選ぶ理由を考えても、ストパニという作品世界では無力なんでしょうね。そもそもに百合という要素自体が理知を否定するもので、情動によって成り立つものなんですからね。あぁ、はい。
以下、乱文。
別に、玉青ちゃんは悲しみに帰結した訳じゃないとは思いますが、そりゃあ好きな人が幸せになってくれればそれでいいって考え方もありますでしょうし、私もそういう考え方する人の方が好きですよ。でも、現実にはほとんどそんな人にはお目にかかれないというか、その感情は物語の産物といえばいいのだろうか、異性に対する好きは常に独占欲と一体をなしているから、好きだから自分とは関係なくても幸せになって欲しいという論理は成り立たないのが普通だと思います。そこが百合作品の特異な点といいましょうか、異性を好きになるような好きでありながら、実際には「異性」でないから、百合作品には他人の幸せで幸せになろうとする人が必ず現れて、大抵その人は悲しみに帰結する。なんかその不公平さを打破出来るんじゃないのかっていうちょっとした期待があったりもしたのですが、やっぱりそういう人が大人になって我慢するしかないのですかね?いや、これを我慢といえばいいのだろうか、でもお互いに結ばれるという最善を選ばない点において、やっぱり二番目、三番目に望む幸せを選んでいるようで。ああ、しょっぱいなぁ。
なんか慈しみ、見守る、奪おうとしない愛が、そうでないものに負けるなんて悔しいじゃないですか?そういえばハチクロのときもそんなことを言っていたような。個人的にはこれがハッピーエンドだったのかどうかは判断しかねている。そんな感じ。