撃滅のセカンドブリッド!!

総会後飲み会が熱いゼ!新概念「絶望マン」。おそらくこの概念だけで全人類の悩みの一割は解答が出来るのではないかと噂されるほどの、世紀の発見(と言われている)。
そもそも、絶望マンとは、一言で言えば「自らが掲げた理想が、現実には実現不可能であることを思い知らされ、生涯解消されることの無い絶望のどん底に叩き落された人間」のことです。ここで注意して欲しいのは「お前はキモいから彼女は出来ない。だから絶望マン」というのは間違いという事です。この場合の「実現不可能」は「一秒以内に地球の裏側まで行け」というレベルでの実現不可能です。ほとんど見込みが無いとしても、彼女を作るという行為自体は実現性は十分にありうるので、別に彼女が出来ないことで悩むのは「絶望」とは言いません。
しかしながら、「理想」というのは人によって相当な違いのあるもので、異性に対しての理想である人もいれば、世界に対しての理想である人もいるし、友人に対しての理想だったりと、一概に同じ絶望といえない点において、絶望マンの行動も多様となり、絶望マンはさらに細かいカテゴリーに細分化されます。
しかしサークル内に限れば、「絶望」というのは「二次元の中に存在しているものが、三次元には存在していないことを思い知らされる」という意味に限定していいでしょう。最も分かりやすい例は「なでしこさんはいつまで待ってもやってこない」でしょう。「俺のともはね」も同様です。
それと同時に、絶望マンと意味の似ている「悲しみマン」の定義が大幅に改正されることになりました。そもそも、「悲しみマン」は「最終的に悲しみに帰結する人間」のことで、全人類のほぼ全てが当てはまっているといっていいでしょう。そして「悲しみマン・オリジナル」は「悲しみマンでありながら、どこか自分だけは悲しみに帰結することはないと信じている人」のことを言いました。
しかしこれからは、「悲しみマン」という概念を破棄し、「悲しみマン・オリジナル」を「悲しみマン」という名称に改めることとなりました。理由としては、悲しみマンの定義が絶望マンの定義と被るため、より合理的で説明がしやすく汎用性の高い「絶望マン」のほうを採用することが今回の会議で決まったためです。
二つの分類方法の例を示せば、幹事長は世の中にともはねがいないことを自覚している上で、自虐的になおともはねを求めることにより、この世の中はやはり絶望しかないことを再認識する行為を繰り返す人間なので、絶望マンです。*1対して、もんもんはなでしこがやって来ることを心のどこかで未だ信じています。彼の、彼女を作りたいと思う故の行動はむしろ、まだ絶望しかないことに無自覚な行動なので、新定義でいうところの悲しみマンになります。
次に絶望マンの行動特性について。
まず第一に周囲を絶望を振りまきます。存在そのものがいるだけで絶望を振りまく場合もあれば、故意に絶望を振りまくこともあります。故意に振りまく場合の理由は、「自分は絶望しているのに、何故周囲の人間は絶望に気づかないのだ?」という、大変利己的なところにあります。また、絶望の底に落ちながらも、絶望の底を掘り返せばもしかしたら希望の一つもあるかもしれない、という行為を通した逆説的な希望の否定の行動が結果として絶望を振りまく場合もあります。何故なら、絶望の底に希望があるわけが無いからです。この行動特性さえ理解していれば、今までのサークルでの不可解な事件の数々は全てが説明がつくかと思われます。
第二に、上記の絶望マンの見苦しい行動を他の絶望マンが確認した場合、強い反感を覚えます。時として相当空気の悪いケンカになります。ウォルライドも、結局は幹事長と御大という絶望マン同士のお互いの反感によるという意見に会議では結論付けられました。
追記:第三に絶望マンには、一度自分は絶望の果てを見たという自負から生じる、無根拠な自信が見られます。絶望マン本人にとっては無根拠で無いとしても、その「絶望」が社会的に理解を得られることはまずないので、他人から見たら無根拠といわざるを得ない。特に、絶望による経験と関わる事柄の議論においてはどんな正論を言われようとも「自分が正しい。そして世界の理と自分の意思は同義だ。」という態度を崩すことは無く、周囲からは頭がおかしいと思われがちである。
次に、現在確認されているところの、絶望マンの分類を紹介して話を閉めるとしましょう。
まず、「真・絶望マン」。該当者はT野。絶望を早期に知ってしまったために、すでに絶望しかない世界を「そんなもんだろ」と受け入れてしまっています。それゆえ、通常の絶望マンの見苦しい行動を見下します。「まだそんなことやっちゃってるの。プッ」って感じです。高二病と酷似しています。
「カリスマ・絶望マン」。周囲の人間に絶望を振りまいた結果、周囲の人間をも絶望マンに変えてしまう人間のことです。一応候補者はいます。集団の中に一人でもカリスマ・絶望マンがいると、確実にその集団は絶望集団になるでしょう。故に我がサークルは絶望サークルなのです。
「見習い絶望マン」。絶望に片足踏み込んでいるが、まだ大丈夫と信じ込もうと必死になっている状態の人。神が見習い絶望マンだと言われています。就職活動など、現実を直視せざるを得ない場面で、理想どおりに行かないことを思い知らされるケースが多いようです。
「絶望マン・ポジティブ」。すでに遠い昔に絶望を経験し、絶望それすらも楽しんでしまえるような人間のこと。二代目がこのタイプではなかろうかといわれています。ぶっちゃけ相当人生楽しいと思います。
正確には絶望マンではないですが、「達しマン」。園長のように、絶望という名の峠すらをも越えてしまった人間。絶望と付き合って生きているポジティブと違い、すでに絶望とは無縁です。もう言うことはありません。
「絶望マンOB」。絶望のばかりに、悲嘆にくれ、自殺してしまった人間です。お悔やみ申し上げます。
さて、これからも絶望マンの研究は進むと思われます。ますます目が離せませんね!

*1:バイトしながら思いついたんですけど、やっぱり幹事長は元悲しみマン・オリジナルな訳ですし、彼が新定義の悲しみマンでないとは考えづらい。そこで、絶望マンでありながら、悲しみマンの如く絶望に抗う人間のことを、絶望マンと悲しみマンとの混合系ということで「ハイブリッド・絶望マン」と新たに名づけたいと考える。