公式見解

で、下のコメントした日から見て明日になったので公式見解を発表します。
思い返してみれば、ハレ晴レユカイと過ごした時間はあっという間でした。そもそもにGA2のファーストコンサート以来、「平野綾のファン、つまり君はあやドリだ。」と勝手に決められたのがことの発端だったと思います。でも実際平野綾は好きでしたし、限界香奈子のように二流で終わっていくなんてことは許せない自分がいたのも事実。次第になんらかの形で平野綾という人物を応援していきたいと考えるようになったのも、また事実だと思います。
最初はネタで始めた平野綾のファン活動ですが、途中でネタなのか本気なのか、区別するのが難しくなってきました。「○○のフリをする」というのは恐ろしいもので、フリで始めたって最後にはフリじゃなくなっちゃうことというのは、実際しばしばあることなんですよ。
そんな気持ちの中、私が今期最も支持する「涼宮ハルヒの憂鬱」が話題を呼ぶようになり、幸運にもそのOP主題歌が平野綾としてのセカンドシングルとなりました。
ここからは本当、あれよあれよという間の出来事です。ある日、ネット上で「ハレ晴レユカイを一位にしよう!」という運動を知りました。単純に「もっと平野綾に有名になってもらいたい」を思うようになっていた私としては、願ってもない好機でもあり、それと同時にその運動に続くことは「Neko Mimi Mode」へのオマージュでもありました。私が一年のときからこのサークルに所属している方はご存知かと思いますが、Neko Mimi Modeを流行らすため、一心になっていた時期もあったものです。今回の件はサークルを通しての我が活動の原点回帰となりえた訳です。
あとは駆け抜けるだけでした。オタクの全体論として論じたとき、「何もかもを巻き込んだ想像」がどこまで現実に通用するか、これはオタクコミュニティという場における一つの実験でした。そして私的意味合いとしては、上に述べたように「どこまで自分はオタクなのか」、そういう意図を持った実験でもありました。
そしてその結果としてオリコン5位という形になった訳です。果たしてこの実験は成功だったのか?少なくとも私的意味合いにおいては実験は成功だったのは以前の日記を見てもらえれば分かると思います。それと同時にオタクコミュニティという閉鎖的な空間における連帯性の強さをとくと目の当たりにする良い機会だったとも思います。「社会」への影響力という一点においてはオリコン5位と力及ばなかったかもしれませんが、この活動を通じて多くの人が「ハレ晴レユカイ」という事態に好んで巻き込まれていく、その有様にオタクコミュニティにしかない魅力を発見したのも事実なのです。
一つの祭りを中心に皆が巻き込まれていくことは、涼宮ハルヒの作品が望んだ結果でもあり、オタクが望んだ結果でもあり、私が望んだ結果でもあるのです。そのことをオタクコミュニティの為した実験として、成功と見るか、失敗と見るか、それは各人の判断次第です。