ARIA The NATURAL 第11話「その 大切な輝きに…」 ★×8

長らくARIAの感想はお休みしていましたが、ここにきて原作を上回る出来映えのエピソードとなったので、久々に感想。
今回は原作同エピソード「ヴェネツィアンガラス」と比較をば。基本的に原作との比較ってやらない事にしてるんですけど、今回に限ってはその方がアニメのエピソードの良さが際立つかと思うので。
今回の話で原作エピソードと比べ決定的に加筆されていたのは二点。一つは灯里の繰り返される「半人前」の言葉。もう一つは、一方的なモノローグであった灯里の考えが、共有の感覚を持つダイアローグに変換されていたこと。
暁の兄に指名されてあたふたする灯里や、前日の夜にガラスを運ぶ仕事への期待に胸を膨らませる灯里、訪問先で緊張してしまって、アリシアさんに率先される灯里。言葉で「半人前」と述べるだけでなく、気持ちの面でも初々しさを前面に押し出した作り。
実のところ、先週のエピソードのように、灯里という人間は分かりやすいようで、ブラックボックスの部分が多い。それが感想を書いてない間、不満を感じていた部分でもあった訳です。しかし今回は部分部分の切り取った感情だけでなく、全編を通して灯里の感情の微妙な高揚や不安を描こうとした点が好感触。原作では緊張しているという割りにそつなく仕事をこなしっちゃってますからね、灯里はw
それと「嘘モノ」と呼ばれることに心を痛めている職人の目線になって、灯里も同じく心を痛めていると思わせる描写の加筆。

私としてはこの「なんで世の中にはこんなことを言う人がいるんだろう?」と信じられない表情を浮かべる灯里が忘れられない…。灯里ってこんな表情もするんですね。

それと職人の落胆に合わせて、気の沈みこむ灯里の姿が印象的。原作ではにこにこ笑い続けてましたからねw 他人の気持ちに共感を示して同じく晴れない想いを抱えようとする態度に原作にはない灯里の人間らしさが光っていたと思います。
この描写により、原作で感じた、ものごとを上から語るような灯里の態度が、アニメでは灯里自身の悩んで導いた答えである風に語り口を柔らかくしていました。それに加え「半人前」の目線から、現実のことはよく分からないけれど、それでも自分はこう思っていたい。そんな初々しい故の熱っぽさも同時に伝えられていたと思います。

これは個人的見解なのですが、ARIAっていう作品は「現実ではこんなこと通用しないよ」っていう論理の前で押しつぶされてしまう、そういう弱々しく、でも誰しもが本当はそうであってほしいと思う「気持ちの問題」の部分を描こうとしている作品なんですよね。だから「仕事に評価を下すのは客であり、作り手にその資格はない」と、このエピソードを一蹴してしまうのはお門違いと言いましょうか。現実ではシビアにならざるを得ないからこそ、現実の嘘モノと言われても、「本当はこんな気持ちを抱えているんだ」と、誰かが代わりに叫ぶ必要もあるんじゃないでしょうか。おそらくに今回はそんな主張も混じったエピソードなんだと思うし、それがこの作品の存在意義なんじゃないのかな、とそんなことを思いました。


実際、自分がああ感じた、こう感じたっていう気持ちの問題にまで嘘だの本当だのって「優劣」を付けるのは違うんじゃないかなとも思うんですよ。そりゃ誰かにとっては笑うべきものかもしれないし、多くの人や社会にとっては取るに足らない、切り捨てられていく感情かもしれない。でもこの気持ちの部分を捨ててしまったら、人間は十人十色たりえないって言いましょうか。どんなに否定されようと、恥ずかしかろうと、自分はここに存在していると言えるように、そんな気持ちを抱えていこう。多分今回はそんな話。


おお、久しぶりに恥ずかしい感想を書ききったぞw