獣王星 第11話「希望」 ★×5

その作品世界を規定する、隠された大きな舞台装置があって、その舞台装置に弄ばれ、隠匿され、最後にその存在を知る。こういう作品全体を統制するトリックの種明かしに奔走するのはどちらかと言えばミステリー等の小説の手法であり、アニメではあまり無い珍しいケースの作品だと思います。
ただ不満点を挙げれば、その壮大な舞台装置をいかにインパクトあり気に、もっとも視聴者に衝撃を与えられる形で知らしめるかに終始した結果、人間関係やそこに生きる人々の生活が舞台装置を巡る周辺事情にまで格下げされ、非常に様式化された、人間味の無いものになってしまったように思われる。あくまでキマイラを規定する世界の真理が最重要描写であって、それを描くために予定調和の如く争ったり、血を流したり、死んだり、それらが「現象」レベルまで無意味化されている。
もう少し分かりやすく言えば、獣王星っていうのは演劇であって、アニメで無いと思う。彼らは生きた人間の生活を送ったのでない。ある一つの筋書きにしたがって、一人ひとりの登場人物が自分の与えられた役割を忠実に演じているに過ぎない。多分そこにある情緒も嘆きもト書きを読むような冷たさがあったと思う。それはちょうど、キマイラを見下ろす人々によって筋書き通りのシナリオを演じさせられていたように。これは一種のこの作品の作風であり、特異性ではあるが、どうもアニメには向かないでもない。最終回の次から次へと仲間が死んでいく場面なんて、あまりに悲劇染みていて、非常に嫌な言い方だが、滑稽ですらあった。
最後まで箱庭から抜け出せなかった獣王星は舞台と言うフレームの中ではあるいは人を感嘆させる悲劇になりえたかもしれないが、アニメというどんなものでも無尽蔵に描写できる自由度の高い媒体においては、見えざる存在に支配された人物のモノローグに落ち着いてしまったことが作品の意味を縮小させてしまったと思う。