貧乏姉妹物語 第7話「ヤキモチとチョコとバレンタインの日」 ★×4

え〜、本日も貧乏姉妹の時間がやってまいりました。しかしながらこのアニメのためにそんな夜遅くまで起きてられっか、って訳で録画してぐっすり眠った訳ですよ。そうしたら最初の10分がとれてなかった。このアニメって2時50分からじゃなかったっけ?ま、いっか。
そして本編。今回のことで私は確信しましたよ。このアニメは私にとって「ギャグアニメ」だってことを。そう確実に思ったのは、きょうの思い人だと勘違いされていた彼の行動を見たとき。おばあさんの荷物持つ、妊婦に席を譲る、財布を交番に届ける、子どもの風船をとってあげる、外国人に道を教える、空き缶をゴミ箱へ…。漫画の中で起こりうるであろう、ありとあらゆる善行を実践する彼の存在はいい人通り越して、完全にギャグですよね。これ笑うところですよね。
この目線で、今までの山田姉妹の行動を捉えてみると、前回の友達いっぱいでゴメンね無視しっちゃって然り、町の人には異常にもてるのも然り、これギャグですよね?どうですかね?つまり私が言いたいのは、このアニメはギャグとして笑っちゃっていい部分と、そうでないシリアスな部分の境界線が非常に曖昧なんですよ。山田姉妹が互いのために一生懸命に生きているのは分かるのですが、それが露骨にいちゃつかれたり、他の人に幸せ振りまいたりすると、その真剣さが体を張ったギャグに見える。真剣にやったら直視出来そうもない部分をギャグで茶化しているというなら分かるんですけど、どうもそういうわけではなさそう。ギャグとして笑っていい部分と、そうでない部分が、場の雰囲気の切り替え無しに、常に同じトーンの舞台の上で起こるから、どうも山田姉妹の行動一つ一つまでが茶番に見えてしまう。
この感覚はなんだろう、と前のアニメ経験を探ってみたらありました。プリンセス・プリンセスです。もはや姫制度というものがギャグで、彼らの置かれた状況がコメディなのに、それに男としての義務だとか、家庭の事情だとか、変に意味づけしようとするから、笑っていいものなのかどうか分からなくなる。でも今更真剣に見るのもどうかと思う。要はそういうことです。別に貧乏な状況がコメディとは言いませんが、明らかに貧乏であることを「ネタ」として描いている描写はありますよね。すくなくともシビアで差し迫った状況としては描かれてませんよね。基本的に貧乏はギャグのためのタネなんですよ。その貧乏に情愛とかの意味を上書きするから、結局コメディなのか真剣なのか分からない。正確には、分かるんだけど、ギャグっ気が抜けなくて素直に感動することへの拒絶感を生む。だからその一つの打開策として、私はこのアニメを一種のシチュエーションコメディと捉えることに徹するという手段を今回思いついたわけです。プリンセス・プリンセスのときもその手段で全話乗り切りました。ということで、これからはこのアニメもそれで乗り切ります!