くじびきアンバランス 第2話「やくそくをまもれないとだめだ。2点」 ★×5

ほかのアニメと比べても、くじアンが異質な存在に思えてしまうのは、全てが記号に満ち満ちてるからではなかろうか。
現代のアニメ作品が、お約束やら、アホ毛やら、ツンデレやら、それこそ記号の集合体であるのは割と常識ですが、ギャルゲー原作のようなキャラメイン作品はともかくとして、少なくとも通常のアニメでは、その記号の存在をいかに消し去るかの方に専心するのが通常だと思われます。でなければ、ベタな展開、ありがちなキャラと一笑に付されるのは目に見えますから。
逆にくじアンは、それら記号をどれだけ隠さずに前面に押し出してやろうかという意図すら感じられます。購買や巨大生徒会組織に代表されるオタク作品の類型的なイメージとしての学園。幼なじみに小学生にデコもさることながら、貧乏でボロボロな制服とヘルメットという、もはやギャグのレベルまでデフォルメされたキャラクターの外見的特徴。冷静なら冷静キャラ、暴走なら暴走キャラ、痛い子なら痛いキャラ、と決して設定資料レベルでの性格設定を外そうとしない行動特性。時限爆弾騒ぎのように、あまりにも紋切り型になり過ぎた展開。次期生徒会長を信じるのは今の生徒会長の義務など、少年誌の「これ言ったらカッコよくね?」なノリに実に忠実な台詞回し。以上のどれをとっても、「アニメーションは記号で出来ている」ことを隠す気が全く感じられない。
もう少し勘ぐった言い方をすれば、オタクの好きなアニメってこんなんだろ?という揶揄にすら感じ取れる。荻上が次回予告で言ってたように。あるいは、記号の部分だけ残すことで、現代オタクは本当に記号に萌えているのか、記号を面白いと感じるのか、という実験にも受け取れる。つまり、オタクなんだからこれくらい露骨なほうがいいんだろ?という悪意とも言えるし、オタクアニメをわざわざ形骸化することにより、オタクアニメが何たるかを暴こうとする試みとも言えるし、どっちとも取れる。
まぁ、そもそもげんしけん内の「オタクが観るオタク作品」として設定されたものですしね。