最近の日課

http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/pokemon/mov2007/index.html
勉強しながら毎日見てる。
自分が中学生のとき、夏休みは部活サボって毎年見に行くのが通例でしてね。「すいません、用事があるんで、今度の部活は休みます」って言ったら、部活の顧問からは「お前はポケモンと部活どっちが大切なんだ?」と言われたもんです。まぁ、当然ポケモンですけど。
劇場版の最高傑作は3作目の結晶塔の帝王だな。これで泣かなきゃ人じゃねえ!この作品の凄いところは、本当の意味で子供の視聴にも、大人の視聴にも、どちらにも対応できるように作られている点だと思うんですよね。
エンテイというポケモンを通して、子供を甘やかす親の姿に対して警鐘を鳴らすと同時に、そういう感情が芽生えてしまうこと自体に対する寛容さと、その姿に気づいたとき、親は子に対して如何にすべきかの一つの解答まで示されているんですよね。
中学生の時には、子を溺愛し、自己犠牲的な家族の愛のあり方に、漠然と歪さを感じながらも感動したものですが、今改めて見返してみると、親と子供の接し方についての問題提起、保護者への訓示にもなっているんですよね。家族で見るならこの映画だろう。
冒険スペクタクルという意味では、2作目のルギア爆誕が良作。自分が観たん中では一番カッコいいかと思われますよ。「俺が世界を救うぜ!」という、中二病的少年の憧れをよく表現しています。てか、これ見たときが中二でした。
今日見たセレビィは今ひとつ。全体としてストーリーが地味で、舞台が閉塞的というのもあるんですけど、なんというか「人間のせいで、生き物達が苦しんでる」って、んなこと言われても仕方ないと思ってしまう自分がいるわけですよ。
つまり、「生き物や自然が大変だ」と言われても、せいぜい僕らの出来ることなんてゴミを分別するとか、募金するとか、そのレベルのことじゃないですか。もちろん、それを多くの人に訴えかけることで、大きな効果が上がることは理解出来るんですが。少なくとも個人という視点で捉えると、そのテーマに対して出来ることがあまりに少なすぎると思う訳ですよ。だから気持ち的には「そんなこと言われても」という結論に達してしまう訳ですね。同じ理由でジブリもののけ姫なんかもあんまり好きじゃないです。本当、あくまで個人的な考え方ですが。
つーか、セレビィがしおれる姿とか、ミュウツーの逆襲でポケモンが量産される姿ってのは、いわば動物愛護を訴えるために、養豚場で豚をと殺する映像を見せているような感じのやり方なんよね。それが正しいかどうかは別にしても、子供だと不快感の方が先行しそうな気もする。そういう意味で、他の作品の方が洗練されてるよな。両作ともEDでは救われているんで、まぁ、いいっちゃいいんですけど。
劇場版は5作目までしか見ていないから、これを期に6作目以降も見るかな。てーか、今やってるダークライが見たくなってきた。しかし、どう考えても子供とその保護者しかいない映画館に逝くのは、性倒錯者の類の方ですよね。あ、じゃー俺行けるんじゃん?
これ欲しくなって来た