true tears 第5話 ★×8,5

ここまで繊細な心情描写をしているアニメは今期において他に無い。間違いなく今期トップクラスですね。
やはり一番鮮明に残ったのが「おせっかいな男の子ってバカみたい」のシーンを、視点を変えて二度流した描写。眞一郎と比呂美はお互いを異性として気になっているが、その気持ちを伝えられない立場にあるという前提の上で、他の男の話をしたらどのような心の変化が起きるか。さながら実験場としての比呂美の部屋と言ったところでしょうか。
眞一郎としては、比呂美がどうせ自分に振り向かないと知り、あてつけのつもりで「先輩とくっつけば?」と暗に強要している。それに対し反論されたことが、まるで本心を見透かされたようで、ついカッとなってしまった。
比呂美からしてみれば、先輩と眞一郎が関係を持っていることを知らないが故、自分のあてつけのつもりで言った嘘の告白を本気にして、眞一郎が自分をよいしょしていると思う訳で。そこで、何故わざわざ眞一郎がそんなことを言う必要がるのかを考えてみれば、眞一郎の本心にも気付いたのかもしれないが、そこまで気も回らない。自分に気を遣って見え透いた嘘をついていると思い込み、「おせっかいな男の子ってバカみたい」と心底嫌気が差す。比呂美にとっては、帰り道でのいい雰囲気のこともあり、なにかしら期待をしていたのに。そんな期待があったから、初めて自分の部屋に入れたという特別なときに、そんなおべっかを言うためにわざわざ入ってきたなんて、本当そんな期待をした自分もバカみたい。
こういう風に、同じ場面、同じ気持ちを持ったもの同士が、少しずつ相手を誤解をしていて、傷つけあう。こういうわずかな心の揺らぎまで掬い上げるほどの繊細な描写というのは、最近のアニメには本当に無い。このアニメは登場人物の心の動きの一つ一つがすごく面白い。
自分が以前、true tearsの物語が俯瞰の視点を持っていると言ったのは、主要な登場人物たちの心の内が一通りオープンの状態にされていて、それを前提にある行動を起こした結果、その登場人物の心情はどう動くか、と言った具合の楽しみ方持っている、という意味なんですよね。
これって、今のアニメには本当に欠けている楽しみだったりする。例えば、某ご愁傷さまなアニメなんかは、「昔友達だった過去がある」という背景があるから、主人公にヒロインは尽くしている。「Aであるから、Bである」と、行動理由が単純な形式に収まってしまうんですよね。実のところ、最近のアニメの(自分の感じでは)8割ほどはこの程度のレベルに収まってると言える。ヒロインや主人公の行動様式が単調で、一つのルールに縛られている。だから、行動の真意や、言葉の裏にあるものを探る楽しみがなく、たんなる背景、バックボーンを後追いする程度のものでしかない。
バックボーンを公開しているのを前提として、その時々に起こる事態でどんな風に心はなびくのか。ここまで踏み込んだ描写をしているのがtrue tearsのいいところ。
しかしながら、それだけじゃないんですよね。石動乃絵。彼女だけは主要キャラの中ではバックボーンがわざとあやふやにしてある。そうでなければ不可思議な行動が不可思議でなくなってしまうし、なにより彼女が「登場人物を解明していく」という根本的な楽しみを提供する役割を担っている。
石動乃絵だけは他の子と比べても、心の変化が掴みにくい。正直、突然比呂美といっしょに弁当を食べようとした理由がよく分からない。二日目に赤いタコウィンナーを作ってきたのは、比呂美に食べさせて「お前なんかもっと嘘つきになってしまえ!」と呪いをかけるためかもしれんが。
他にも乃絵の行動は破天荒過ぎるが、だからこそ面白いと言える。何故なら、単に、秘めたバックボーンを抱えているというよりは、彼女自身の人間性、ものの考え方に不可思議な行動が裏づけされていると思うからです。今までを見ていて、不可思議な行動の先には、彼女自身の行動を決める何かの「自分ルール」の存在があるように推測される。飛べるものと、そうでないもの。キレイな涙と、そうでないもの。バックボーンでは片付けられない、石動乃絵なりの価値観がそこに垣間見えるんですよね。
だからこそ、徐々に石動乃絵を支える「何か」が分かってくることで、彼女自身の価値観、人間性が見えてくる。そこに純粋な登場人物への興味という面白さが沸いてくるんですよね。これは「キャラクター」という「記号」としてでしか人物を描けていないアニメには、到底真似できまい。