true tears 第7話 ★×8

青春群像劇と銘打つだけはあり、様々な恋のケースが混在していますが、今回にしてそれぞれの恋のあり方が明確になったと思う。
好きの気持ちを初めて知った乃絵。幼い頃からの、叶うはずの無い恋を願い続ける比呂美。意識すらしてもらえない、滑稽な片思いを抱える愛子。


その中でも、今回はとりわけ石動乃絵についての一考。
乃絵が初めて恋心を自覚する場面では、多彩なように見えて、実際はあまり豊かではない乃絵の感情を見たように思う。
今まで見てきた限り、乃絵が友達といっしょに行動しているような場面は無い。遠巻きに噂されるだけで、誰も近寄ろうとしないし、お年頃の女の子としては、休み時間に鶏に話しかけて過ごすと言うのも、ちょっと寂しいものがある。
友達がいたことが無いのかどうかは定かではないが、以前比呂美とお弁当を分け合ったときも「友達はお弁当のおかずを交換し合うもの」と、いかにも漫画からの伝聞のような、形式ばった友達のあり方が目に付く。乃絵が「友達」として接する姿には、人間関係に対する不器用さが窺える。
ここからが本題ですが、彼女は兄に溺愛されており、お婆ちゃんには随分と可愛がられていたようです。人は、自分がしてもらったような好意の示し方しか、相手にしてあげることが出来ない、とは言いますが、乃絵にもそれが当てはまるんじゃないのかなと、自分は思う。
今まで、(仮定として)友達もあまり作らずに、身内とばかり親しく接してきた乃絵は、「人生にまで深く入り込んで、ともに幸せになっていく」という好意の示し方しか知らない。友達として適度な距離を保った人間関係というものをほとんど経験していないからそれが出来ない。まして、恋のような一方的に好意を押し付けるような感情はもっと知らない。つまり、対人場面における「感情の引き出し」が不足しているのではないか、と。
だから、初対面の時から、眞一郎に対しておせっかいなまでにやることなすこと介入してくるし、彼の人生そのものを気にかけているようにすら思う。そういう、家族みたいな接し方が彼女にとっては親しい人間への当然の振る舞いなのでしょう。「まごころの想像力」の言葉に、他人に対しても家族並の相互理解をもって振舞う姿勢が垣間見えたりする。おせっかいの中に、恋心が含まれていたことは今回でようやく気付いたわけですが。
もう一点、乃絵の不思議行動には、対人経験の乏しさゆえのものではないかな、とも思う。身内とばかりいっしょにいたことで、自分の思ったことを包み隠さず口にしてしまう(=嘘をつかない)ような関係しか経験してこなかった。だから乃絵は素直なのであり、自分の価値観でああもばっさりと他人を決め付けてしまうことが出来るのかもしれませんね。子供のような振る舞いと無邪気さは、実際に何らかのことをきっかけに、あまり人と関わりあわなくなったため、心が子供のままで止まってしまったことを示しているのかもしれません。
今回の恋心の自覚は、乃絵にとっての初恋であると同時に、自分と近い存在ではなく、本当の意味での「他人」と出会うことにもなりそうです。恋をする以上、自分の思い通りにならない恋人という名の「他人」と向き合わざるを得ない。
恋模様と同様、恋を経て乃絵がこれから人間としてどう変化していくのかが、もう一つの見せ場になっていくのではないかと、期待。