CLANNAD 第22話 ★×5

んー、感動はあったんですけどね。今まで積み上げてきたものへの感動でなく、場面の刹那々々の感動に過ぎないです。具体的には渚の父がステージに叫ぶ場面です。でも、ホントそこだけ。
CLANNAD全話を通して感じたことはやはり「ギャルゲーのアニメ化の限界」ですね。
ここからは全く原作未プレイの人間が想像で書くことなので、間違いもあるでしょうが、それを了解した上で読んでください。


根本的な問題として、情報量が足りていない。初見の人間としては理解できない部分がそれなりにあった。それも、ギャルゲー一本分がアニメ2クールに収まりきる訳がないという点が問題でしょう。
トータルで考えても、端折りすぎているといわざるを得ない。ことみのシナリオは説明不足で分かりづら過ぎるというのは以前にも述べましたし、智代の話はゲームをやっていない人間からも目に見えて「端折ったな」と分かった。桜の木の話とか。もう時間的にそこまでやる余地もないし、渚と結ばれるから、そもそもやりようがない。だからこのルートは手早く済まそう、って感じに。
そういえば、以前コメント欄で春原がサッカーを辞めた理由について「軟弱だ」と批判した際、「春原の事情はまだ説明されてない」と意見を頂きました。そこで、これから説明が入るのかな、って思っていましが、結局入りませんでした。これにより、自分にとって春原は「喧嘩っ早いだけで継続力がないために夢を諦めたやつ」になってしまいました。というより、アニメを観ただけの情報ではそう判断せざるを得ない。他に判断材料がないんですもん。
ですからクラナドを見て、そもそもギャルゲーをアニメ化するってことは、情報量の面において無理がある、あるいは作り手の情報の取捨選択のセンスがかなりのレベルで要求されると思いました。
それでも、CLANNADは現在の放送環境においては特別と言ってもいいほど優遇されているといえる。
ギャルゲーアニメはUHFが主体で、1クールがほとんど。そのため多くはメイン1キャラのルートに絞っている。もしくは原作のキャラを借りた、ストーリー要素の薄いコメディで尺をあわせている。あとは完全オリジナル。
しかしながら、CLANNDは2クールな上に、基本的に原作準拠(ですよね?)。そういう作品は1クールの中に1、2本しかない。それでも、まだ「アフター」というものが全く手付かず状態らしい。
噂によると、二期があってもおかしくないそうですが、そうしたらおそらくもう2クール、合わせて1年。そんなギャルゲーアニメはかつてないはず。1年という時間だって、オタク向けアニメならARIAコードギアスとか、誰もが知るビッグタイトル、あるいはケロロやハヤテなど子供向けに抜擢されたアニメのみに限定される。それだけの高待遇でありながら、前半部分にあたる本放送は、原作未プレイの自分からみても話が不足している。



それに、やはりギャルゲーのキャラクター別攻略というのはアニメにはいささか不向きですよね。上でも述べたように、恋愛関係前提のキャラが複数のルート存在していると、どうしても両立しない。それをクラナドみたいに無理に詰め込もうとすると、原作を知らない人間が見ても違和感があるくらい歪なシナリオになる。下手すりゃ主人公が「○○氏ね」と言われることになりかねない。
この点に関しては、以前から色々と試みがなされていますよね。ひとつとして、並び立たないのであれば、複数のEDを作ればいいという発想。「月は東に日は西に」や、最近なら「君が望む永遠」ですね。他には、いっそ開き直って全部の女に手を出して、バッドEDをごちゃ混ぜてみたり。当然「School Days」ですが。あとは、主人公を一人から二人にするっていう「キミキス」のやり方。
でもやっぱり、一人のルートに絞って、他のキャラには多少触れ合う程度、というのが主流。その点では、他のキャラも、メインヒロイン同等かそれ以上にスポットを当てたクラナドは主流からはやや外れるか。
と、ここでクラナドの話に戻ります。ギャルゲーアニメの限界について、さらに、今回の話で感動できなかった理由にも繋がるのですが、渚が芝居を一応の成功を収めたことに、努力を感じられなかったんですよね。というのも、渚が演劇部を作るまでの間にあまりにも他キャラの話が多すぎて、渚が頑張っていたというより、他の人たちが頑張っていた場面しか浮かばないからです。
逆に、風子には努力が感じられます。というのも、風子はまとまった話数でスポットを当てられ、毎週繋がった話として展開されたからです。だから、行動の前後関係が繋がっているし、その分行動を「努力」として認知しやすい。
渚について言えば、活動が断続的過ぎて、それを「努力」と認知しづらい。風子シナリオ以前から演劇部を作り始めるも、風子シナリオで一旦中断。直後にことみシナリオ開始で中断。この間は渚の活動は開店休業状態ですね。その後ようやく本格的に演劇部を作り始める。少しして、智代の選挙のため、間接的に関係はあるといえど、直接演劇部のための活動という感じではなく。その後演劇部設立、ようやく練習開始となるが、間もなく本番。
これというのも、やはり渚ルートと思しき話に、他キャラのルートをほぼ全員分ねじ込んだせいではないかと推測。そのため、肝心の渚は仲間集めという名の「個別キャラ攻略」に同伴しているように思え、具体的に行動していないように感じられる。
しかし22話を、渚主体の物語のみを中心に連続で放送し、そのラストとして視聴する機会があったなら、感動していたと思う。そうすれば渚の積み上げを認知できて、芝居の場面にも共感が芽生えていただろうからです。しかし、断続的な渚シナリオとしてでしか観る機会に恵まれなかったテレビシリーズでは、芝居の場面では置いてけぼりをくらってしまった。
そもそもの問題として、ギャルゲーの個別シナリオは、一つキャラの物語は、それはそれとして個別に完成したものとして楽しむように作られているものでしょう。クラナドの場合は分かりませんが、クラナドもそうであると仮定した場合、つまり渚シナリオというものが存在しているとした場合、本来はそれは一つのまとまった流れとして観るべきものであり、バラバラにしてみるべきものではない、と思うわけです。だから本来発揮されるべき感動が、アニメではその半分以下になってしまったと思うのです。
やはり、ひとつのアニメにギャルゲーの全ルートを詰め込もうとするには、無理がある。


という訳で、ギャルゲーは

  • 作品ボリュームとアニメの放送時間
  • 複数キャラのシナリオ

という点で、シナリオになんの加工もしないのであればアニメ化には不向きだと考えています。