ARIA The ORIGINATION 第13話 ★×7

こ、これは何と言う新社会人応援アニメ。明日から入社して初めての仕事だって人が、緊張で眠れなくてたまたまARIAを見たら、本当に泣いてしまいそうです。3月31日の深夜放送なんて、とっても狙い過ぎです。
The ORIGINATIONにおけるテーマは、第10話の感想で一通り述べました。「ノスタルジーを終わらせるための物語」です。正直なところ、最終話も根本的には同じなので、あえて新しく言いなおす点もあまりないです。なので、最終話を見て、思ったことをいくつか。


「この気持ちには 気付いてはいけない気がする」
原作での灯里の台詞ですが、これが削られてしまったのは、とてももったいない。なぜなら、この言葉こそが、ARIAの世界を支える「根本」の正体だと思うからです。
「この気持ち」は言うなれば、「当たり前にあったものが、変ってしまうことへの恐怖心」です。ARIAは、以前の感想にも述べたように、子供の頃の楽しかった気持ちにそのまま居座り続け、変化を許さない、ノスタルジーを具体化した物語です。しかし、「この気持ち」の気付きは、変化を許さないARIAの世界を否定することになる。だから、ネバーランドの住人である灯里は「この気持ち」に気付いて、変わることを受け入れてはいけない。
作品の観点から見れば、登場人物が「この気持ち」に気付いてしまうことは、非常にメタ的であるといえる。何故なら、変化しない舞台は作者が意図として作り出した世界観であり、それをあえて作者の創作物である登場人物が否定することは、作者自身が自分の描いた世界観の是非を自問自答している構図が透けて見えるからです。
たとえば、ARIAのような日常系の作品であれば、幸福感を提供することが目的なわけで、それをあえて否定することは少ない。それをわざわざ否定してまで、永遠に続く幸福な世界とは違った結末を描く、そういった意思表示が「この気持ちには 気付いてはいけない気がする」の台詞に表されています。だからこそ、作り手の意思表示であるこの言葉は残しておいて欲しかった。


アリシアさんが、灯里の一人前昇格の日を先延ばしにしていた。この行為には賛否があるでしょうが、少なくとも自分の解釈としては「必要性があった」と思っています。
何故なら、その行為が意味するところは「アリシアさんが変らぬ毎日を望んでいた」ということよりむしろ、「終わらない半人前の物語を、その世界を見ていた人たちが望んでいた」ことだからです。つまり、ARIAの視聴者は灯里達が修行の日々の中で、仲間達と何も変らず楽しそうに過ごしている世界がループするのを望んでいたのではないかと。少なくとも自分はそのつもりだったし、そう望んでいました。
また、大抵の「日常系」や「癒し系」と呼ばれる作品は、同じ一年がループし続けるか、卒業などのイベントで終了してしまい、その後はあまり描かない。
しかし、ARIAはその後を描いた点において他とは違う、特別な作品だと言えます。具体的にいえば、アリスがプリマになってからの各々のあり方を描いた点が、ノスタルジーにリアリティの色彩を与えようとする、作り手の挑戦が感じられます。
そういう意味で、アリシアさんの言い分は、多くの先人が唱えてきた言い分の代弁とも捉えられます。終わらないノスタルジーを仕組んだ人間自身が、それを望んで繰り返してきたことを告白し、ノスタルジーを終わらせることを宣言したことは、ARIAに続いた多くの「日常系作品」の甘えを暴露し、それを超えて物語は描かれるべきだと言う訓示だとも拡大解釈してみたりする。


「あの頃の気持ち」を永遠にするための物語。それが今までのARIAの至上目的であったと思います。そして、灯里はアリアカンパニーに自分だけの永遠を作り出すことに成功したように思います。
かつての幻を見て、「ああ、そうか…。」と呟く灯里は、本当に寂しいと思いました。自分の目に見えてしまったものは「幻」なんだと自覚してしまった、その気持ちを思うとすごく寂しい。しかし、終わらないノスタルジーを「幻」なのだと、存在し得ないものなのだと自覚することは、大人になるためには必要なわけで。原作では、ここで「その オレンジの日々を・・・」のことを回想するんですよね。大人になっても、それくらいの懐古は許されてもいい。


不満点を挙げると、後日談が蛇足だったかな、と思う。ARIA=キャラクターコンテンツと捉えれば、あれくらいのファンサービスがちょうどいいと思います。しかし、ARIAはキャラクターコンテンツ色以上に、メッセージ色が強い話だと自分は思っています。ですから、「とりあえず主要キャラを全部、成功させてみた」的な後日談は、露骨なキャラクター愛が垣間見えてしまい、ノスタルジーを終わらせたという「決断の物語」の高揚感を冷ましてしまうものだと感じました。


総括として、自分はこの結末には八割くらい満足しています。わざわざARIAの見せた夢を醒ます必要もないと思う一方、単なるその場その場だけの幸福感を撒くだけの娯楽作品に留まるような器の作品でもないと思っています。その二つの折衷案として、彼女らは大人になってしまったけど、幸せな日々は終わらないし、また新しい時代が巡ると締めくくったのは妥当だと思います。
残り二割は、現実と照らしてみたら、灯里や藍華やアリスのように、いっしょにいたいと思う人が、会おうと思えば会える環境にあるなんてのは稀だよな、という点。そこで、やっぱ彼女らの世界は理想郷の類ですよね、という大人の擦れた斜め見があったりするわけです。