まじかるストロベリィ 3 (ジェッツコミックス)

まじかるストロベリィ 3 (ジェッツコミックス)

まじかるストロベリィ 3 (ジェッツコミックス)

「4コマ漫画月間」については前触れたが、そもそもの4コマ漫画月間をやろうと思ったきっかけとなった漫画。これ読んだときは「4コマ漫画ってこんなに面白いものだったのか」と思ったもんだ。
私見では、これが最も面白い4コマ漫画。4コマ漫画月間の時に4コマ漫画雑誌も色々読んで見たけど、結局まじストにかなう4コマはなかった訳で。あずまんが大王よりもずっと面白い。
細かい説明は不要。一言で言えば「こんなに愛に満ちている漫画は他にない。」登場人物は全員誰かしらが好きで、皆恋人未満の関係なんだけど、とにかく甘い。恋愛要素の「山あり谷あり」の部分が微塵も存在しない。ただただ甘くラブラブな日常。4コマの内容も80パーセントはラブラブ関係。でも、こいつら全員不器用でいい人達だから全く嫌味に映らない。永遠の初恋。3巻になって家族愛も加わり、さらに温いラブラブ。
これは漫画とかに見るある種のユートピア世界の一つの極致だと私は思う。ここまで温いラブを極めた漫画は二つと無い。それとこの漫画のあとがき、すごく当たり前のことなんだけど、誰も言葉にして言おうとしない大切なことを感じました。かっ、感動した!!

よつばと! (5) (電撃コミックス (C102-5))

よつばと! (5) (電撃コミックス (C102-5))

よつばと! (5) (電撃コミックス (C102-5))

読んで思った素直な意見は「恐ろしく計算されてる」な、と。
例えば最初の「よつばとダンボー」は、実は「みうらが中に入っている」ことを決定的に示している描写はない。別に本当にロボットだったと言いたい訳じゃないけど、それとなくダンボーをみうらとは分離した一つの個体であるかのように読者を意識に刷り込むのには成功していると思う。
あとは、およその人が経験しているだろうと思われる子供視点の共感覚。風呂の蛇口回したらシャワーが出てきた、ある食べ物(アイスとか)がとても特別なものに思えていたこと、意外といいみずたまり、等など。些細なことも合わせたら枚挙に暇が無い。
その中でも特に輝いていたのが海に行かないと言われて泣く場面。「ひょおおお」の、わざと泣きを荒くする描写も含めて子供の挙動そのもの。確かに、大人の都合で自分の思ったことがその通りにいかないで泣きそうになるのは子供の気持ち。こういう、子供の頃には確かにあった気持ちなんだけど、とっくに忘れてしまった気持ちをここまで再現しているのには正直驚いた。すごいな、あずまきよひこ
全体を通して思ったのは、こんなことも楽しめていた自分が昔いたかもしれないことと、やはり今楽しんでいる自分も同じく「いたかもしれない」と、将来忘れられる自分になってしまうんだなということ。よつばと!のテーマは1巻の最後の話に集約されていると思っている訳ですが、この物語はコメディである以上に、回顧録であったりすると思うのですよ。たくさん忘れたものがあって、今楽しいと思ってやってることもきっと忘れ去られる。その事実を作中で描かれる大人の視点、あるいはよつばの年齢からは明らかに離れすぎた読者の視点から観察しなおした皮肉というんですかね。それでも「忘れまい!」と抗う力、楽しいことに再度参加しようとする力がこの作品の原動力だったりするのかもしれません。

デジモンセイバーズ 「デジタルワールド突入! ドリモゲモンの罠」 ★×4

いや、思ったんだけどさ、この話って一種の学び舎の例えじゃないのかな。DATSって言う組織の囲いの中で守るべきルールがあって、その中に優等生もいれば不良もいる。その中で隊長という存在が少年たちを監視し、成長を見守っている訳ですよ。でも、大とトーマは「子供」だから当然ルールを破ってしまうような情動に駆られる。そこで、それを叱り、優しく迎えるとき、隊長は「先生」としての役割を担う。要はDATSというのは一つの学校なんじゃないのかな。セイバーズと今までのデジモンシリーズとの決定的な違いと言うのが、主人公はある程度体裁の整った組織に所属し、基本的に大人の指示に従って行動すると言う点なのだと思う訳ですよ。
こういう見方をすると、なにか違った意味を持った物語としてデジモンを捉えなおすことも出来るかなと、まぁふと思ったりした訳で。
それと、今までのデジモンシリーズ見てきた人はディグモンが敵なのにやっぱり違和感覚えたよな?