ARIA The NATURAL 第6話 「その 鏡に映る笑顔は…」 ★×6

ARIAという作品は基本的に人間の深淵を描こうとはしない。描かれる悩みの大半、それはちょっとした嫉妬や羨望のような、些細な心の揺れ動き。そんな中で今回の話は数少ない、内に根ざしている暗い心の悩みの話。
しかし、人間の触れられたくない深い部分をこの作品が描こうとするとき、ARIAという世界の論理がいかに脆弱なものか、思い知らされる。


今回の話は「他人と積極的に関われないし、親しい人としかいっしょにいたくない。けどそれが良くないことなのは分かっているし、もっと人間関係を広げたほうがいいとは思う。分かってはいるけど、じゃあ、それならどうすればいいっていうの?」とまぁ、そういうことですよね。
これは、実際に多くの人間が悩み苦しんでいる問題であり、場合によっては生涯解決を見ないような、そんな悩みである。今までのARIAが取り扱ってきた問題と比べ、明らかに「重い」。
人と積極的に関われない、そんな悩みを抱えているならどうすればいいのか。そんなのはなるべく他人と積極的に関わろうとするように努める以外方法はない。もしくは人間関係そのものを捨てるか。今回の話においてアリスはアテナさんの言葉、まぁくんの姿に元気付けられ、人と関わりあっていく勇気を得た、とまぁ、そんな話ですよね。
人と関わっていこう、そう思ってどこかで勇気を振り絞るしかない。理屈の上ではそれで正解だと思います。ただ、ARIAという作品は本当の「リアルな」悩みの前では結局、決まりきった教訓のような答えを導き出すことしか出来なかった。今までのエピソードで見せてきたARIA特有の自由な発想は残念ながら垣間見られない。
それに今回の話、少し嘘をついています。
最後、アリスが心を入れ替え新しく変わろう、そう思って元気に振舞う。実はアリスがその後どうなったのかは描かれていないし、分からない。何故その後を描こうとしないか。それはアリスが勇気を出してパーティーに参加した結果、友人が出来た、そこまで描いてしまうとこの物語が「出来すぎた話」になってしまうから最後をぼかさざるをえない。もし、積極的になった結果他人と仲良くなれた、そんな実に型はまりのサクセスストーリーを描いてしまったら、「他人と積極的に関われない」と本当に悩んでいる人が見たら鼻で笑ってしまうような話に仕上がってしまう。
それに、アリスはあの後本当に変われたのでしょうか?思うに、あの類の「肩を張った空元気」はあくまで刹那的な心の高揚であり、恒常的な心の変化とは繋がらない。残るのは、変わった自分を演じてしまった矢先、今更引っ込みのつかないという意地だけである。「アリスは少し自分を変えられて、他人とも関われるようになった。」それは、そうであって欲しいと思う我々が勝手に作り出した結末であり、実際はどうなったかは分からない。
そしてもう一つの嘘。アテナさんは「向けられる周囲の羨望のまなざしがあの子には敵意に映ってしまう」と言っているが、それは明らかな誤解である。周囲は「アリスを敬い、羨ましく思うから、恐れ多くも話しかけられない」という訳ではない。少し考えれば分かることだが、優等生である上に、無愛想。わざわざ他社の人間と付き合い、自分達と付き合うつもりが無いことをアピールしているアリスに対し、他人は関わり合いを持つことを諦めてしまっているのだ。言ってしまえば学校にある仲間はずれの論理と大差は無い。つまり、「敵意に映ってしまう」のでなく、実際周囲は少なからずアリスに対し敵意を持っていると思う。そこをアテナさんの言葉は誤魔化そうとしている。もし、オレンジぷらねっとの人間が悪意という感情そのものを持ち合わせていないというなら別の話ですが。
それは「自分がみんなを嫌っているから。ううんアリスちゃんの場合は怖がってる…かな?」の言葉も同様、「アリスは嫌っている→怖がっている」と言い直すことにより、「周囲は嫌っている→怖がっている」と、周囲の悪意をかき消そうとしている。確かに、アリスは怖がっているだけかもしれないが、周囲には優等生で無愛想というだけで嫌っている人も多くいると考えるほうが自然だ。
つまり、アテナさんは(もっと言えばこの話を書いた天野こずえさんは)必死に人間を友好的なものだと美化しようとしている。今まではそれが心地よかったし、一つの理想郷として世界観を確立していた。しかし、それが人間の深淵に触れるようなリアルな悩みを語りだした瞬間、ARIAの世界は実に白々しく見えてしまう。


ただ、今回の話にも一つだけ的を射た意見があった。鏡のエピソードである。「鏡が自分の姿を映すように人もまた自分の心を映すのよ」の台詞。人というのは往々にしてイメージの中で勝手に他人の像を決め付けてしまっている。そしてそのイメージは案外あやふやで、すぐに変わってしまうもの。無愛想な相手を見れば「あいつはいけすかない」と決め付けてしまうし、そう決め付けたまま相手に変化がなければそのまま。だけどあるきっかけで相手と関わりあう機会が生まれれば、案外簡単に「あいつは話せるやつ」と印象は変化する。過去のイメージなんかは、自分が自発的にそれを覆そうと思えば意外なほどあっさり変わったりする。自分の心に決めた変化は他人の心の変化をとおして確かに「映る」のだ。
だから安易に「ARIAの人間描写は的外れ」と一蹴することも出来ない部分もある。