XXXHOLiC 第6話「タンデキ」 ★×8

この話を観て痛切に思ったのが、「理由」と呼ばれるものにはたいした意味はないということ。自分への理由っていうのは、自分を納得させるために作る自分との約束ですよね。でも、思うに理由なんてものの99%は後付に過ぎない。最初から至るべき結論は決まっていて、それを自分に正当化するために後から理由をつけるに過ぎない。純然たる心情から発し、かつ大儀として成り立つほどの行動動機なんてこの世にほとんど無い。
その証明として、「理由」と銘打った言い訳を突き詰めていくと結局のところ「自分の思い通りにいかないのが気にくわない」という結論にしか達することは無い。つまり、それが侑子さんが奥さんにした問答の意味。
「(子供が)か…かわいいです…から…」
「て思ってるのにやめられないのね」
要は、「今の生活も大切だけど、パソコンもやめたくない。どっちも上手くいかなきゃ嫌だ」。世間体とか道徳とか、そんなもので幾ら理論武装してもここまでやられると形無しですね。世の中の「理由」と呼ばれるものに守られた論理のほとんどは、丸裸にされると「子供のわがまま」に過ぎない訳です。ここまで「理由」というものの本質をついたやり取りはほとんど無い。
パソコンをやめる。そう結論付けたところで、心底ではどっちも捨てたくないから、色々「理由」をつけてパソコンをやる。子供が悲しむ、夫が困る、そんな風に思ったところで結局この場合問題になっているのは「自分の感情をどう満たすか」であり、「他人の感情がどうなってしまうか」は実際のところ眼中に無い。他人を「理由」にするなんて愚の骨頂。それこそ単なる言い訳。「自分にとってどういう行動が最大の利益になるか」そこに帰着した「理由」でなければなんの効力もなさない。ヒューマニストを気取ったところで、自分のエゴイズムの自覚無しになんの覚悟が出来るのか?
自分の生活実感を切り離したキレイゴト並べるだけの人間は実のところ何も考えていない。エゴイズムを自覚した上でも、それを乗り越えてヒューマニズムに生きようというなら、自分の心の大事な部分をハサミでジョキジョキ切り取って、その血なまぐさいのをゴミ箱に捨てるくらいのことは必要な訳ですよ。それが「覚悟」。
この話は原作どおりの話なのですが、ここまで人間の本性に自覚的であり、かつそれをエンターテイメントにまで昇華しているCLAMPはやはり天才だな、と思ってしまう訳ですよ。これでこそ我が尊敬するCLAMP
ここまで言っておいて「その名を冠することによって、その名を持つものと同じ力を持つことも出来る」と言いながら斬鉄剣(?)をかざしつつ、「理由」の持つ役割を茶化してしまう余裕を見せるCLAMPは超カリスマ!!