再考:XXXHOLiC 第6話「タンデキ」

人間いつアイディアが降りるか分からないのです。なにやら今日の帰りに急に「タンデキ」の話のアイディアが降りたので、今更と思いつつ再考。それだけと言うのもなんですので、HOLiCの全体論と絡ませて。
最後の場面「僕のお椅子は?」のやりとりについて。そもそも、何で侑子さんの示した対価が「子供の椅子」だったのでしょうか。
思うに、奥さんと侑子さんとの間での対価、という観点でなく、お母さんと子供との間での対価、と考えるのが最も腑に落ちる考え方かなと。つまり、母親にパソコンを止めさせるという約束を交わさせる代わりに、それを生じさせた主たる原因、つまり子供にも大切なものを持っていかれるという対価を負わしたと。
でも、なんでそんなことをする必要があるのか?それは最後の奥さんの歪んだ笑顔の理由と繋がるのですけど、皆さんはあれどう受け取りました?私としては、子供に「なんでパソコンがないの?」と問われることで、自分の頭の中がパソコンでいっぱいなのを見透かされてしまう恐怖があった。しかし実際子供が発した言葉は「僕のお椅子は?」であったことに安堵すると同時に、他人に欠けさせてしまったものを何一つ考えに入れてなかった自分の浅はかさを思い知った失笑だと捉えているんですよ。そう考えると、しばしの考慮ののち、安心した表情をした後、引きつった笑いになる理由が説明できると思うのですが。
そして、このラストの場面を通して一つのことが暴露されているんですよ。つまり「自分のことばかりで、子供のことなんか頭にはない」。結局のところ奥さんの唱えた「子供のため」という理由も、本当に言葉だけで、子供が可哀想なんて実感は何一つ持っちゃいないことを自分に対して暴露してしまったんですよ。つまり、自分が我を通すことで他人に何かを損なわせてしまうことに全く自覚的でなかった彼女に、それを知らしめるための道具が「椅子」だった訳です。
実際のところ、覚悟なんていうのは自分の利害関係だけでなく、それによって自分を取り巻く世界に一体何を損なわせてしまうのか、それが損なわれてしまっても本当に自分は納得できるのか、そこまで踏み込まないと出来ないものなのです。対価は何も侑子さんとの間でだけでなく、我々においても例外ではないのです。自分に対する覚悟だけでなく、他者に対する覚悟という事までこの話は論じていた点において、どうやら前回私の述べた感想のさらに上をいっていたようです。
覚悟することで、自分から何が失われてしまうのか。覚悟することで、他人から何を奪ってしまうのか。そこまで自覚的になった上でも、それでも変わりたいと願うのなら人は変われる。「強い想いさえあれば、なんにでもなれる」この考えはCLAMP作品の根底に通う共通の考えでもある訳です。



ここからは全体的な話になるのですが、例えば同作者作品のレイアースとかカードキャプターさくらとか、それらで何度も語られるのは「自分が望めば世界は変わる」ということなんですよ。難しい理屈はさておき、登場人物たちが強く望むことでどんな困難も、決められた未来も乗り越えていける、それを有様で示している作品群が過去現在において存在している。それは言ってしまえば、子供達にも分かる言葉で訴えかける「正の言葉」であり、暗さや後ろめたさの無い、まっすぐなメッセージな訳ですよ。
そんな作品群の中で、XXXHOLiCの位置づけは言わば、ただひたすらな「正の言葉」にあえて『「自分が望めば世界は変わる」というけど、そのためにはどれだけの覚悟が必要で、どれだけの辛い気持ちを背負うの?』と疑問を投げかけることで、辛口で、大人でも納得できる、より実践的なものに今までのCLAMP作品のメッセージを昇華させる役割を担っていると思うのですよ。
侑子さんには未来を覗く力がありますよね。思うに侑子さんの見える「人間のこれから」というのは、現時点のその対象となる人間を見たとき、「その人がよほどの覚悟をしない限り、至るであろう当然の生き筋」が見えるということじゃないだろうか。毎時1kmで変わらず移動し続ける物体が50年後にはどれだけの距離を移動しているのかが言い当てられるように。
でもこれって逆説的に言えば「それだけ人間というのは変わり難い生き物ではあるけど、その変わることの苦痛と困難を乗り越えるだけの力があれば、幾らでも可能性は開ける」ということでもある。だから第二話で四月一日の「俺がこの先どうなるのかも決まってて、侑子さんはそれを全部知ってるってことですか?」の問いに対する侑子さんの答えは「もしあなたがそう思うならそうかもしれない」けど「世界はあらかじめそこにあるものじゃない。自分で作るもの」な訳ですよ。
人間の無限の可能性への無条件の讃歌、それがレイアースなどの作品群なら、XXXHOLiCは必要条件を満たす意思のある人間への讃歌。今までの作品群の甘い言葉の中にも、厳しさを見出したのがXXXHOLiCであると、電車で揺られつつ数十分、そんなことを考えましたとな。