ひぐらしのなく頃に 第17話「目明し編 其の弐 ケジメ」 ★×6

半拷問状態下で自分で爪剥がさせるとか、マジ無理っすよ!!いや、ホント無理っすよ。
ところで、この間ひぐらし原作信者の某氏と少し話したのですが、皆殺し編入れるのはそんなにアウトなんですか?どうも暇潰し編を削ると、皆殺し編で登場した赤坂が説明無しになるからいけないらしいのですが、だったら皆殺し編の途中でキャラ紹介的な回想でもちょっといれればえぇやん?そうすると原作の雰囲気損なわれると言いたいのかもしれないけど、それって割と今更じゃないですか。そもそも原作ゲームのあのテキストの「情報量」を、アニメでそのまま再現できると本気で信じていたわけでもあるまい、推理の部分はバッサリ切って、映像的なサディステイック性、怪奇性、あるいはミステリー的雰囲気さえ出せればアニメは成功って言えるんじゃないのかな、とも思えなくもない。
漫画ではある程度成功してるじゃないかという反論もありそうだけど、あれは一編だけで漫画二巻分、400ページ近くあるじゃないですか。大体私の感覚だと、ジャンルで誤差はあれ漫画をまともにストーリーどおりにやれば、アニメ一話分は50ページ程度なんですよ。だから単純計算で一編につき8話以上は必要になる。そうすると今のアニメ放送の二倍は時間確保しないと漫画の水準は無理なんですよ。そうすると六編で一年…。むしろ出題編と解答編で放送時期ずらして2クールずつとか?でもアニメ化は生モノですから、それは厳しいんでしょうね。
つまり何が言いたいのかというと、原作もやったこと無かった一個人としては、アニメでの登場人物達の奇行、狂気の沙汰を毎週傍観する行為は、それだけでも原作をやろうと思わせるくらいにはエンターテイメントとして楽しめましたよ。だから少なくとも私の定義では、ある一定程度でアニメ化は役割を果たしていたし、むしろそれなら推理の穴埋めのような暇潰し編より、エンターテイメントとしてより映えるであろう皆殺し編を入れるほうが「アニメ」と言う媒体では賢明と思われるのですが、どうなんでしょ?