貧乏姉妹物語 第6話「さびしさと銀子とお姉さまの日」 ★×4

つまり、山田姉妹の「幸せ」というものは完成されているんですよ。「貧乏」なんてのは単なる謙遜のための肩書きであって、もはやそれがハンデとして意識されうることは無い。だからどんなに山田姉妹から「幸せ」について説かれたところで、それはもう幸せな人間からの嫌味にしか聞こえない。
例えばですよ、山田姉妹の場合「幸せ」という目に見えないものだから純粋に見えるかもしれませんが、それが金だったらどうですか?友達がたくさんいるとわざわざ友達が少ない人に見せるのは、貧乏な人間にカバンに入った札束を覗かせるのと同じことだし、姉と不仲の人に、姉との仲のよさを見せ付けるのも同様。そして、そうすることが相手に劣等感を植え付けることを自覚していないことは、友達もいない子にわざと他の友達とも仲良しであるところを見せ付けるのと同じくらい残酷な行為ではなかろうか。
「私達はお金持ちだけど、お金なんていうのは努力すれば貯まるものですよ。ほらあなたも頑張ってみなさい。すぐお金持ちになれるわよ。でも私達は別にお金持ちだとか、そんなのどうでもいいのよ。」と言われれば誰でも腹立ちますよね?山田姉妹の振る舞いは、その「お金」の部分を「幸せ」に置き換えた、壮大な嫌味に聴こえるのだ。目に見えるもの、見えないものの違いではない。それを手にした者の「態度」が、それを見た者の感じる良い悪いの気持ちを決めるのだ。
その点、金子の控えめで押し付けがましくない愛情の方が遥かに賞賛に値すると、視聴者の立場からは思いました。