日々の戯言

あぁ、なんか成績を晒すのが流行っているみたいですね。この前のときは晒すタイミング逃しちゃったしなぁ。
まぁ、あの、あれだ。オールAだ。頑張ったやつも、内心落としたんじゃないのかと思ったやつも、全部Aだ。でもあれやろ?成績表にはAもA+もどっちも「優」になるんやろ?「so good」が全部「very good!!」に書き換えられるんやろ?
別にそれならいいんじゃん? 俺が言ってるのは、A+よりはAにとった方が暇な時間ができる可能性が高くなる、と言ってるだけだから。マジメにやってて優等生になれるなら全然いいと思う。ただ、俺にとっては、大学で勉強をする場合、適当にやってA狙いってものになるってやり方が一番合ってたから、それをここに書いてみただけ。それに、AになるってことでA+とるよりも見えてくるっていうのもあるしね。
これがオールCだったら音山光太ごっこが出来たのにね。分かる人には分かるネタさ。


ちなみに、T野。入院費は児童医療制度によって、区に申請すれば医療費が返還されるで。原作によると。
あと、神の青春レビューを読んでたら、その小説を読みたくなりました。今度探します、あぁ、はい。


ところで御大八段と幹事長六段の対局が白熱していると報じられているようなので、そろそろ正式見解を示したほうがよさそうですね。
私的には幹事長を叩き潰す気はさらさらありません。ただ、明らかに私怨による怒りを「オタク文化」を大義名分として利用しようとしたことが、オタクらしいオタクを目指している僕としてはけしからんなと思った訳です。「オタク代表」としてオタクを正そうとした幹事長にならこの気持ちは分かるでしょ?
そもそも僕の言うところの「知的なオタク活動」というのは取り違えてもらったら困るのは、「創作活動」のことを指しているのではありません。もしそうなら、同人やSS書いている人だけがオタクの上流階級になってしまうでしょ?しかし大抵のオタクは、創作物を「享受する」側の人間であり、むしろオタクをオタクたらしめる最大のファクターはその「受容態度」によると思うわけですよ。つまり、オタク文化の発信物に対して、どれだけ真摯(しんし)にそれを受け取って、そこから作り手の考えや、技術的に評価されうる点、誠心誠意込めて作られた跡を発見する等、表層的な楽しみ以上の意味合いをいかにして感じ取り、読み取るかで「知的なオタク活動」を判断するべきだと考えます。
おそらく幹事長と決定的に違うのは、「知識のデータベース」を知的オタクの評価基準の大きな基準として捉えているかどうかだろうな。幹事長はおそらくこのタイプの人間でしょう。確かに30代オタクはこの手のタイプが主流で、いかにアニメの監督やら漫画家の作風やら、それらを知っているかにオタクとしてのプライドをかけていたと思います。
けどね、そういう時代は終わったんやとおいちゃん思う。今は、あんまりにメディアが多すぎて、絶対的オタクの指針になるような作品なんて存在してないんや。せやから幹事長やT野の抱いている「オタクの必修科目」なんてもんは幻想なんや。涼宮ハルヒがオタク界のブームになった影には、「なんであんな俗っぽいアニメに夢中になってるの?」とせせら笑うオタクもたくさんいたんや。しかし、少なくともアニメという媒体において、2000年に入ってから最もオタク文化での共通性の高い、「必修科目」になる可能性の高かった作品であったとおいちゃん思う。けど、わいらのサークルでも結局見てた人は半々くらいやったろう。そして見ていない人の冷めた目といったら、そりゃあもう。そして君もその一人やったんやないやろうか、幹事長?
結局は涼宮ハルヒは「ブーム」になれど、「必修科目」にはならなかった。何故ならその間にエロゲーやるひとはせっせとエロゲーやってたし、ゲームやってる人はゲームやるし、メイド喫茶行く人はメイド喫茶行ってたし。要はオタクは隣人無関心なんや。岡田も言ってたやろ?アニメという、無料にして多くの人が見れる、YouTubeでU局見れない人でも見れたという、最もメディアとして多数に伝達しやすい状況にあった媒体ですら「必修科目」になんてなれなかったんや。ましてよりこじんまりとして嗜好が分かれるエロゲーや漫画が、オタクと呼ばれる人全てにとっての共通認識になんか今はなりっこないのや。
それじゃ、コレだけ知ってればいいっていうのがなくなった今どうすればいいのかといえば、個々の信奉するメディアに対する思い入れを深めていくしかないやん、となる訳ですよ。むしろそのレベルでは今のオタクは決してオタクとして死んでいるとはわいは思わへん。
その中でも「知的なオタク活動」を営んでいると判定してもいいオタクはたくさんいるやろ。S原、あんたのことオタクとしてわいは尊敬しとるで。プロもそうやし、M田くんもそうや。彼らが幹事長と同じ疑問をオタクに呈するのなら、わいは仕方ないと思ってしまうくらいや。
で、本題だ。僕が言いたかったのは、何故そんな状況で、自分がたまたま好きな作品群やら昔の作品の知識がない、ただそれだけの理由で皆を「バカなオタク」扱いするんや?それって幹事長の勝手に設けた基準やないの?必修科目同じく幻想やん。それに当てはまらないという理由だけで君は一部のオタクをジェノサイドしようとしたな。それはやり過ぎやとおいちゃん思うのや。
それにな、それだけオタクのことを心配して、三次元に対してまで復讐しようとしたあんたが、どうして同じオタクを潰そうとするんや?それって矛盾しとるやん。同じオタク文化の先輩やったら、すこしくらい考えたらずの人間がいても、これからのオタク文化を担っていくのだと思って、教育したり見守ったりするのが筋なんとちゃうん?オタクとしてでないで、人間としての話や。それが出来へんのは単純に君がオタクのことを心配しとるんやなくて、そういうオタク文化の問題と私怨とをごっちゃにして、結局は自分の身を案じていただけなんとちゃうんかな?
それに、前もいうたけど、幹事長がとてもオタキングになれるほどの知的な活動をしていたようにはおいちゃんには思えへんのや。知的活動をやったと差別化されるくらいの言い方をするんやったら、頭の中で理屈をこねてるだけでは駄目なんや。発信せな。物を作れというとるんとちゃうん。普通の会話でもいいからもっとオタクっぽいこと話して「この人はこんなことも考えるんだ」と思われなあかんよ。日記でもかまへん。対話無しに、内向的にぶつくさ言ってて、勝手にインテリになった気分になって、勝手に人を見下してるだけじゃ駄目なんや。それは客観的に見たら幹事長の言うところの「バカなオタク」と変わりないんや。


とまぁ、おいちゃんから言えることはこんなことや。わいはな、これでも幹事長のこと心配しとるんよ。幹事長に足りへんのは寛容さと対話やと思うんや。憎しみからは何も生まれない。おいちゃん長く生きてきたから分かるんや。確かに幹事長はまだ若い盛りやから、こういうこともあるかもしれへん。けどな、結局はオタクの道理も人間の道理も一つの道に通じてるんよ。おいちゃんは幹事長が良いオタクになったとき、同時に良い人間になれると思うんよ。精進するんじゃぞ。