ひぐらしのなく頃に 鬼曝し編 (2) (カドカワコミックスAエース)

これからグロテスクで気持ちの悪い話をするので、そういうのが無理な方はご遠慮ください。

昨日の帰りの車でですね、人が倒れるところを見たのですよ。車内の窓越しに、本当に目の前で。すぐに人が駆けつけましたが、その時倒れた人は血を吐いていたのですよ。ぼかぁ初めて見ましたね、あれだけの血を。人間っていうのはあそこまで大量の血を出せるものなのか、って。しばらく倒れたままで、人が集まる頃にはゆっくり立ち上がりましたが、その人は血溜りを見て完全に神喪失していました。それを見たとき思いましたよ。この人は今日のことで生涯そこなわれるような重大な欠陥を負ったんだなと。あれだけの大量の血が出るって事はそういうことなんでしょうね。

とまぁ、こんなことがあった後だから、絶対猟奇殺人モノなんて読むべきでないとも思うのですが、案の定、なんか無理だった。気持ち悪い。色んな理屈抜きにして、人は殺してはあかんと思った。関係ないですけど、BLOOD+なんかはハジは幾ら致命傷負っても平気だし、小夜は腹部を貫かれても全然へっちゃらだし、全然血が出るってことに恐ろしさと実感が伴わない点で完璧に駄作ですよね。せっかく血がテーマなのに、アクションのために用意された不死身の体という仕掛けのせいで、血が出るという行為が非常に容易にリカバリー可能な出来事のように扱われている点において、全然駄目です。血が出るってのは人が死に近づくっていうサインやろ?ぶっちゃけそんなことも分からん連中が幾ら戦争反対をテーマにしてアニメ作っても白々しいだけのペテン師です。あぁ、つまらんアニメ見た。
あぁ、横道それました。ひぐらしでしたね。しかしながら鬼曝し編ひぐらしという作品全体にとって、私的に非常に有益な作品でした。人間は刹那的な衝動に駆られてしてしまった行為のつじつま合わせために、猟奇を繰り返すこと。そのためなら、虚構を演じて、自身に起きた事実も書き換えられること。それらは殺人から嘘まで程度の差こそあれど、ごく日常にあること。なるほど、これだけのピースがあれば、あるいは他のひぐらし作品が読み進められるかもしれません。
以下、ひぐらしのネタバレ。
といっても、あくまで私見による推測の話ですが。もし間違っていてもご容赦ください。
鬼曝し読了後、もしかしてと思い、ゲームをやり直す時間もなかったので、漫画の隠し編を読んでみたら、今まですっきりとしなかった部分が大体分かりました。まず、圭一が注射を打ち込まれる場面。テレビ版の滅し編でもあったように、あれはマジックです。わざわざ注射針のケースを外す音が「キュポン」になってますが、注射針のケースを外してもそんな音はしないでしょう。「竹さんと同じ目にあってもらう」の台詞も、要はシャツにメッセージを書き込もうとしたのを指して「同じ目」なんですね。二人の会話自体には特に不自然なことはないんですね。それを勘違いして、本当に見舞いに来ただけの二人を殺したと。
そう考えれば、おはぎの場面も、まち針が口の中で刺さったといっても、明らかに血が出すぎですよね。つまりありゃタバスコ入りのおはぎであり、口から出てきたのはタバスコでしょう、おそらく。それを危機的状況にあると思い込んでいる圭一が食べたから、針が入っていると大解釈した。
さらに、レナが鉈を持って追い掛け回してくる場面も、放課後の時点で圭一が心労で倒れて、レナが自宅まで運んでくれた。その気を失ったときに見た夢か妄想があの追い掛け回される場面なんでしょう。おそらく気を失ったのは、183ページのこけた時。特に180から183の吹き出しが黒くなっている部分を省いて会話を繋げば、決してレナが頭がおかしくなったのでなく、圭一の付け加えた解釈の台詞がレナをおかしい人物に仕立て上げてるだけで、むしろレナは圭一を心底心配しているように見える。
つまり虚構を演じていたのは圭一のほうで、レナの最初の「嘘だっ!」の台詞がきっかけで、自分が殺されようとしている事実を自分に信じ込ませるしかなくなった。つまり他者の狂気を信じることで、自分の狂気を信じなかった訳ですな。それが最も顕著なのが、最後のあの手紙。監督のことと、注射器のところが削除されているのは、どこかで監督が病院の先生であることを知っていて、注射器なんて初めから無かったことを自覚していたからこそ、自分で書いた後に、自分でそこを切り取って、注射器も第三者に持ち去られたように演じたんじゃないでしょうか?そうすることで、妄想の矛盾する要素につじつまをあわせようとした。
そもそもに、最初のレナの「嘘だっ!」には、圭一への積極的な好意故の嫌われたくない気持ちのために、圭一には知られたくないこと、おそらく前の学校の出来事、を隠すための必死の乙女の抵抗がその台詞だったんじゃないでしょうか。その好意を圭一が悪意と取ったスリードが惨劇だったってことですかね?そうすれば、滅し編の圭一の過去の告白の場面にも繋がるし、曝し編の夏美はレナの好意故の隠し事の部分を引き継いでおり、かつ圭一の虚構を演じる体質を引き継いでいると言えるんじゃないでしょうか?
ついでですが、隠し編というタイトルはもしかして、心暗鬼から来てるのでは。疑う心が暗いところに隠れているかもしれない鬼を生む、だから隠し編。つまり、他人の見えない内面を、相手の事情を窺い知ることもせずに、こういうものなんだと疑ってかかることが隠し編のテーマ。故に日常でもこの惨劇は起こりうると言うのでしょう。そのことが漫画の巻末にのっているところのたったひとつの鍵というわけですかね。
長々と話しましたが、私が一番言いたかったのは、原作信者がニメを叩きたくなる気持ちがすごくよく分かった。原作派が漫画をどう評価しているかは分からないですが、少なくとも私は上記のことにたどり着けるために、おはぎやマジックペンや黒い吹き出しなどの微妙な表現のズレに相当に気をつかっているように思いました。おそらく原作でもそうなのでしょう。しかし、その事実と虚構の区別無しに、全てを確定情報で詰め込んでしまったニメは確かに推理の材料としては最悪ですね。たとえ正解にたどり着いても、答えあわせが出来ないので、結局推理しても意味が無い。

それに分かりましたよ。この作品は推理してるときが一番楽しかった。多分昨日の晩が今までで一番ぐらしが楽しかったです。思わず全部漫画見返して朝になるくらいに夢中になった。この作品はこうやって楽しむものだったんですね。という訳で某原作信者さん、以前あなたが言おうとしたことが今になって納得できました。そして「圭一の頭の方がおかしい」と、大分ヒントをもらってここまで辿り着いた訳ですが、あとは一人でなんとかなりそうです。