N・H・Kにようこそ! 第20話「冬の日にようこそ!」 ★×8

山崎カッコよすぎるぅぅうううううううう!!!!!!!!!!
この刹那的高揚感は神がかっている!一言で言えば「ファイナル・モラトリアム」。そう、そんな感じ。残り僅かなモラトリアムの絞り汁、若気の至りの集大成、終わりよければなんとやら、最後は豪快に幕を下ろしてやろうじゃないか。
冬のある日の、一年の終わりも近づき、というシチュエーションにのせて、好き勝手やれたモラトリアムも終わりに近づき、これから先他人の決めたレールに沿って生きていく運命にある。やっぱり山崎のじめっとした陰湿な青春には、春のうららかなイメージで終わりを迎えるよりも、冬の退廃的でしけった空気がぴったりだよな。「冬の日」って題材はまさにベストです。
そして保険プランに「自分の全生涯」が書かれているということの衝撃。これは痛い。ハルヒの野球球場に行ってちぽっけな自分を思い知るって題材よりも生々しい。確かに自分の生涯の出来事が年単位で細かく決まっていたら、恐ろしいもので。しかしながらこれは多かれ少なかれ日本国民の大半にいえることで、ほとんどの人は高校後の進路が決まった時点で「学校卒業後、就職、60まで働いて〜」っていうアウトラインは決まっているもので。要は人生全てが「働く」、これに集約される。学校も、青春も、人間関係も、なんもかんもこの「働く」ってことの準備のために仕組まれたイベントに過ぎないとも言える訳で。そう思うと、まぁ、今やってること全てが社会っていう制度の中で踊らされてるようで、空しくもなりますよね。これは出来るものなら思い知らないほうがいいことだろうな。
隣人のいなくなる生活、モラトリアムの終焉の空気感に触発されて佐藤もなんで生きてるんだろうなぁとか考え出す。働かない、他人のためにならない人間の日常がゴミみたいなものなら、働いてる人間の生活が輝かしいものかと言えば、上記のようにそうでもない。要は他人のためにならない生き方をしてる佐藤と、否が応でも他人のために生きさせられる一般の人間の人生を代表している山崎との対比だろうなぁ。佐藤はいつもダウナーだし、山崎はいつもイライラしてる、どっちに転ぶのがマシですか?ってな感じ。まぁ、そんな問いかけをしてること事態がモラトリアムなのですが。でもモラトリアムの終わり近くならないとこういうことも気づかんよなぁ。
そんなことに気づいてしまった山崎は学校生活と彼女と、モラトリアムの身辺整理を始める。しかし、その有様がとにかくカッコよすぎる。酒飲んだ勢いで教科書焼き払う。あれは子どもがライターを手にとって火遊びに興じる様のようで、子どもっぽいんだけど、自分で後戻りできる可能性を押しつぶして、大人じみた選択を強いてるようでもあり。まぁ、最後生きるために生きることの選択を余儀なくされたら、酒気帯びやら刹那的高揚の勢いで、それを選択してしまうくらいしか出来ないのが事実だろうなぁ。でも出来そうで出来ないよ、あれは。彼女にオタク部屋公開するのも同じで、凄まじい刹那的高揚の行動のようであって、逃げ道を断って、自分と他人に未練を残させないための選択だと思えば、これ以上にカッコいい行為は他にない。エゴのようでありながらも、これ以上に無い他人思いのようであり。あ〜、どうせモラトリアムが終わるって分かってるなら最後は、最高のアミューズメントと銘打って、最高に恥ずかしい、最高に他人に迷惑をかける、最高に他人思いな、最高に潔い、そんな終止符を打ちたいな〜。それで決めゼリフに「どうでした?最高にドラマチックな幕下ろしだったでしょ?」なんて言えたら最高にカッコいいな。やっぱり山崎はカッコ良過ぎるうぅぅぅぅぅーーーーーっっっ!!!!!