砂沙美☆魔法少女クラブ 第8話「なかよしの指輪」 ★×7

このアニメは美紗緒の回になると興味深い。要はなんかクラスに馴染めなくて浮いちゃってる小学生のお話なのですが、それを魔法少女風味にいい感じに終わらせているかといえば、実を言えばそうではなく。随所に描かれるすんでのリアリティが作品を淀ませているとも言えるし、秀逸とも言えるし。そういう点が興味深いですね。
基本的にこの手の話は「今日の自分は駄目だったけど、明日は自分ひとりの足で立つよ」という成長物語が定石です。が、肝心の冒頭の問題提起部、砂沙美がいないと動けなくなってしまう美紗緒という図式は実のところラストの場面でも、砂沙美の介在によって友人との仲を取り次いでもらっている訳で、正確にはあの話には成長は無かった訳です。
それが意図しているのかどうかは置いといても、ネクラ少女が突如コミュニケーションがとれるようになる訳もなく。現実的側面で捉えれば、砂沙美というクラスの上位(いわゆるスクールヒエラルキーですね)に付与するのがネクラ少女が交友関係を広げるプロセスとしては妥当かと。つまり、砂沙美という、クラスの中心的存在に推薦されることで、クラス内グループに入れてもらえるという、いわゆるジャイアンとスネオ関係にも捉えられる訳で。そのような小学組織の等身大の姿を「成長物語」を装って描いた、…ってこれは勘ぐりすぎですか?でもおジャ魔女の時もこれくらいやっていましたし…ね?
おそらく、作り手がこの話を美化しているようで、実のところリアリティーに沿って描こうとした気がするのは、美紗緒に連絡しなかった理由を「親しくなく、かけづらかった」と明示している点でしょうか。これは相当ダイレクトですよね(苦笑)登場人物自身が「仲良くしたい」と言っておきながら、実際は行動に移せない矛盾を示してる訳で。まぁ、本来的な人間は言葉にしたものを実行なんてほとんど出来ないもんですよ。
あえて今回の作品にファンタジーを認めるとすれば、砂沙美の存在でしょう。ヒエラルキーの上位の人間が、その地位にいながらも、その権限を振りかざすことなく、弱きに優しい視点を持ち合わせているという点ですね。いないことはないですが、やはりそれが人のかく在るべき理想像に近い存在である点、魔法以上に砂沙美の存在(あるいは砂沙美に代表されるような、魔法少女作品に必ず登場する理想的な主人公)の方が幻想的なのかもしれませんね。