最終回を終えて、らき☆すたについて思うこと

今だから言うが、今期の中では本当に好きな作品だった気がする。まぁ、最初の方は、初期の感想を見てもわかるとおり「退屈なアニメだな」くらいにしか思っていなかったけどさ。でも、最終回を終えてこんなに寂しくなるとは思っていなかった。


なんでらきすたが面白くなったのか。ネット上では「こなた=オタク自身」という説がある訳ですが、まさに自分にとってはそれだったのかもね。こなたを囲む空気感が好きだった。かがみ達はこなたがオタクってことで、差別したり気を遣ったりしないじゃない?その空気感だな。で、こなたを囲む空気感がぐるりと回ってオタクな自分肯定?に転じたって感じかな。
それと照らし合わせて思うんだけど、自分の高校生活って、らきすたみたいなもんだった気がしないでもない。
周りはオタクに偏見ない人ばっかだったし、オタ友もそうだが、非オタ友とも「チョココロネの食べ方」とか、そういうレベルのくだらない話でも盛り上がれたし、それなりに楽しかったんじゃねーのかな、と。今となっては一大人として知識ありきの会話を求められる訳ですが、あの頃は知識無くても関係ない話、チョココロネの食べ方みたいな、誰にとっても日常的な話題、で十分だったから、隔たりが無かったな。
何が言いたいかというと、自分は真正のオタな訳ですが、それが友人関係に障害になるとかは特にない日々だった訳ですよ。オタク属性の、普通の友達の一人って感じ。今となっては自分も相手も気を遣いますよ。この歳でオタクですもん。
こなたもかがみ相手に、かなりオタク会話を前面に押し出しちゃってる訳ですが、それも含めてちゃんとした普通の友達、そんな感じじゃないですか。自分がオタクだからって、オタ会話を避けるとか、変に気を遣う必要が無いし、相手も気にしない。自分もそんな空気感がある高校生活だった。
自分の高校生活は随分と無為に過ごしたし、思い返すほどのこともねえ訳です。が、周囲は良い奴らばっかだったし、それなりに有意義な高校生活だったんじゃないのかなと、今更ながら思えなくも無い訳ですよ。あの頃は幸せだった。
んで、らきすたを見ているとあの頃が幸せだった気がしてきて、なんとなく幸福感が沸いてくる。そんな理想的なノスタルジーだな。それがらきすたが好きな理由。


24話、ラストの「もってけ!セーラーふく」にも釣られときます。ご存知のとおり自分は学園祭ネタには超弱い訳で、泣き所と言う訳ではないのだが、あそこで涙が止まんねぇよおお…!
ただ、あの達成感は僕の高校生活にはなくて、こなたの高校生活にだけあるものだからな。遠いところまで行っちまったなぁ、と寂しい気もします。
ああ、そうさ!こなたは俺には無かった「人並みの青春」を手に入れたよ!オタクなこなたが、立派な青春をな!おめでとう!