プリパラの門をくぐる者 全ての希望を捨てよ


みれぃがいなくなってるううううぅぅぅぅうううう!!??????????


みかんも!  ちりしゃんも!!


あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!(プリプリプリプリュリュリュリュリュリュ!!!!!!テラコズミックブツチチブブブチチチチブリリイリブブブプシュゥゥゥゥッッッ!!!!!!!)



アーナキソ










>アボカド学園中学部2年生の女の子。地味で存在感が薄く目立たない。霊感が強いのか、普通に霊が見えている様子(?)。口癖は「無理です、無理無理無理無理……」。


お前は轟鬼か。

リブート集会感想

感想も何も、その場にいた人間にいまさら集会について説明する必要ないだろ。
とりあえず思ったこと書いてくわ。


なんだかんだいって、結構みんな脱オタしてた気がするわな。かつては一応、アニメのサークルって名目のサークルだからアニメの話してたんだろうけど、時は流れ半分はドルヲタになってんじゃん。まぁ、10年前からその兆候はあったし、これはしゃーないわな。
てかみんな社畜(2名除く)になり下がったせいで、オタク趣味にかける時間減ったんとちゃうん?心に余裕が無くなると、脱ヲタしたがる奴が世間ではごまんといるからな。いまだに週20本とか観てんの僕だけだろ。
と思ったけど、そもそも10年前から海堂家そんなにアニメ観る奴いなかった。


あとドルヲタになった奴らいたけど、僕から言わせてもらえばお前ら偉いよ。めっちゃ偉い。
だって、ちゃんと人間に興味持ってんだもんな。
俺とか人間に全然興味ねえよ。アイドルとか声優とか、そいつらの人格とかプライベートとかに欠片も興味ないし。たとえばそいつらが死んだとして、そいつらの演技とかパフォーマンスを見たり聞いたりできなくなるのは残念だが、個人が死んだこと自体は割とどうでもいいしな。
そもそも、大学時代に色々イベント行ったりしたけど、明らかに先代とか二代目と熱量が違ってたというか、今思えば結構冷めてたよな、自分。ぶっちゃけ中の人とかそんな興味ねえし。
だからさ、えみつんの例の件もさ、ぶっちゃけノーダメージてか、なんか面白いことになってきたな。た、楽しいな、おい!て感じだったわな。でも、えみつんでヌきまくってる奴も家族にいるわけだし、どっちの方がファンとして頭おかしいかっていったら、どっちもどっちだろ!

だからさ、二代目の日記見てると、こいつ人間好きすぎだろ!っていつも思うんだよな。二代目は人間大好きマン。

あと一応断わっておくが、イベントの雰囲気とかパフォーマンスとか歌とか、そういうのは好きだよ。あれから10年たったのに孤独にイベントにイき続ける程度にはな。声優も、演者としては好きだよ。人間性には興味ないからラジオ聞いたりブログ見たりはしないけどさ!

そんな感じでさ、海堂家の人間と再会して思ったのはさ、闇を抱えたまま社会に放たれたのはぶっちゃけ僕と園長くらいで、他の奴らはちゃんと人間と向き合ってるし、真人間だろ。(無職は2人いるが)あー俺、達しマンだ。


あと、なんで浦女のライブ行かないの?って意見あったけど、僕はプリパラに鞍替えしたからな。
μ's亡き後の心の隙間はプリパラが埋めてくれた。だから俺には浦女は必要ない。

しかし、プリパラおじさんなんてそうそういないだろうと思っていたが、まさかぽじと園長もプリパラおじさんだったとは意外だったな。あの先代ですら少し齧っていたというのだから、プリパラは偉大である。ぽじや園長とは今後イベントで会うこともあるであろう。
俺はこれからはみれぃと幸せな余生を過ごすよ。


リブート集会の後半、あれ完全に海堂崇講演会と化してたわな。あいつ自分は鬱だと言ってたけど、躁じゃん。てか、悪意ですら改心して金返したんだし、お前も色んな人に金返せよ。あと、一回くらいは風俗行ってみた方がいいと思われますよ。


ま、こんなところやろ。とりあえず30歳で死ぬとか言ってた奴も含めて全員生存確認できただけでもええやろ。次の集会が来年になるか、10年後になるかはわからんが、それまで海堂家はこの残酷な世界を生き残ってくれ。


p.s. 園長がM田に「殺すぞ」って伝えてくれって言ってた

リブート集会開催の経緯

昨年の10月某日、二代目の日記に
俺「俺俺、俺なんだけどポジと八段に金返したいんだけどどうすればいい?今長崎なんだけど。」
というコメントがされていた。(ファッション化するオタク文化 〜祓い切れぬ業を抱えて〜2016年9月5日参照)
返すのが7年遅いだろ。


もはやデジョンの如く時空の彼方に消え去ったと思っていた金ではあるが、悪意に金を貸したことはただの一度も忘れたことはない。
もちろん回収できる金は回収させてもらう。当然やろ。


んで、悪意に連絡を取ったところによると、人間として優しくなったので金を返さなければと思ったらしい。いや、そういうのはいいから借りた金は返せよ。
んで、ぽじにも金返したいんだけど、連絡先知らんの?というから、に、二代目に聞きな…!って言っといた。


そしたら後は流れで海堂家の色んな奴に連絡がイってリブート集会やることになった。おわり。

ラブライブ!The School Idol Movie 所感

映画観て気付いたこと、思ったことをメモ代わりに残す。
以下はネタバレ全開だから注意な。











絵里のメールで語られた「スクールアイドルであることにこだわりたい」というセリフを軸に、劇場版の結末の意味について考えてみる。
そもそも、スクールアイドルとアイドルの違いってなんなのか。とりあえずいくつか挙げながら説明してみる。

  • 商業性がないこと

現実のアイドルと商業性が切っても切れないのは言うまでもないが、スクールアイドルは部活の延長上に位置づけられており、その活動によってアイドル自身に直接的な利害が発生することは原則ない。
あくまで私的な目標(それは廃校阻止であり、ラブライブ優勝)のために活動することを旨としている。
個人的な利害が発生しないという世界観故に、スクールアイドルのグッズは勝手にショップで売られるという、奇妙なことも発生しているが。少なくとも、そのグッズ売り上げがアイドル自身に還元される描写はない。

しかし、今回の劇場版ではラブライブの主催者側からのオファーでラブライブの普及活動を行うことを勧奨されている。また、海外ライブ以後のμ'sは絶大な人気を誇る存在として描写されるが、広告塔としてのμ'sは多分に商業性を想起させる。
その点に「スクールアイドルにこだわること」の理由の一つがあると考えられる。もし、3年生卒業後もスクールアイドルを続けたとしたら、私的な目標を失ったμ'sは何を目標に活動をするのか?やはり、今後の活動には広告塔としての役割を担わざるを得なくなることは想像に難くない。
過去にもファッションショーのステージのゲストとして参加するようなこともあり、全く初めての出来事ではない。しかし、それはあくまでラブライブ優勝という私的な目標の活動の一環であった。しかし、今後はその広告活動自体が活動の目的になるであろうことから、私的な目標でなく利益のために活動することになることを避けたかった、という理由があったと思われる。スクール(学生)アイドルであるからこそ、社会の要請に縛られることなく活動できる。いわゆるモラトリアムであるからこそ自分たちのやりたいことをやれるのだ。
作中の台詞でもあったが、スクールアイドルの活動は「こんなにも夢中になれ」るもので「最高に楽しい」ものでなければならない。私的な目標を喪失した時点で、それは彼女ら自身が最高だと思って取り組んできたものとは、また違ったものである。

  • 活動の終わりが明確であること

実際のアイドル活動で「この期間までしか活動しない」ということを明示されていることは極めて稀であり、ほとんどの場合は売れなくなって自然消滅するか、活動休止・引退宣言をするかをしない限りは、特に活動期間の定めはない。
しかし、スクールアイドルには高校卒業までという明確な活動期間が存在する。おそらくこれがスクールアイドルの最大の特徴であり、テレビシリーズ2期のメインテーマでもある。
話は少し飛ぶが、ラブライブには絶対に触れてはいけないタブーがある。それはμ'sの「高校卒業後の将来」を描写することだ。自分の知る限りでは、アニメでもCDでも小説でも漫画でもこのことは絶対順守されていると思う。3年生組の卒業後の進路も一切描写されない。せいぜい真姫ちゃんは将来病院を継がなければならない立場であることくらいだろう。それも、別に決まった未来というわけではない。
では、何故ラブライブでは将来を描いてはいけないのか。それは、ラブライブが「今、この瞬間」を描く物語だからだ。劇中歌「Angelic Angel」に「明日じゃない 大事な時は 今なんだと気がついて」という歌詞があるが、まさにこれこそがラブライブを指し示した言葉といえる。
もちろんμ'sメンバーにも将来というものはある。しかし、少なくとも「ラブライブ」という物語はあくまで「今」を生きたμ'sの物語であり、わずか1年を駆け抜けた彼女たちの青春の記録が物語のすべてである。
限られた時間の中での活動であったことをμ'sも非常に尊重していることは、絵里からのメール後の屋上の会話から明確であり、作中の人物からも「今」を大切にしていることが伝わってくる。終わりがあるからこそ、「今」を懸命に駆け抜けたことがより映える。青春とはある一瞬の輝き、それ自体のなのである。


これは余談ではあるが、現在ネット上での主流となりつつある「女性シンガー=未来の穂乃果説」は少々早計だと思う。上にも記したとおり、ラブライブの最大のタブーが「高校卒業後の将来」を描写することだからだ。
あくまでそういう穂乃果の未来(流しのシンガー)もあるかもしれないけど、それはたくさんある可能性の内のひとつに過ぎないという扱いなら構わないのだが、これを確定の未来と捉えると、自ずとμ'sの離別も確定してしまう。おそらくそういう風に捉えられてしまうのは制作サイドとしても不本意なのではなかろうか。μ'sのその後を想像するのも楽しくはあるが、やはりその想像は何かの情報に制約されず、自由でなければならない。
ちなみに自分はあの女性シンガーは、
アメリカで出会った時・・・穂乃果の境遇によく似た実在の人
日本で出会った時・・・苦悩する穂乃果が生んだ自身の心の内の代弁者。心象風景
と思っている。

  • 「跳べる」とは何か

冒頭と、帰国後の女性シンガーとの再会時にある言葉で、劇場版の一つの軸として語られる言葉だが、いまいちしっくりこない言葉だった。
色々と考えてみたが、おそらくμ'sとして繋がった今の9人なら、1人になったとしても、今ならちゃんと1人で飛び立てるというニュアンスだろう。劇中ED曲「僕たちはひとつの光」の歌詞「小鳥の翼がついに大きくなって 旅立ちの日だよ」と、「僕らはいまの中で」の「それぞれが好きなことで頑張れるなら 新しい(場所が)ゴールだね」から、そんな感じだろうと。
なんでこんな持って回ったような言い方なんだろうと思ったが、またさっきの話であるが、将来について直接描写するのはタブーなのである。具体的に一人になっても飛び立てると言ってしまうと、それこそ離別を意味すると解釈されかねないので、そんな言いまわしになったのではないだろうか。
ラブライブという物語のテーマに「繋がる」というのがある。ここらへんは「私の望み」がわかりやすいし、劇場版では全国のスクールアイドルと繋がったのだと言える。
そして、劇場版では繋がった後に何が起きるのか?にまで踏み込んだ、ラブライブのタブーに触れかねないテーマに触れている。これが最後だからこそ、描けるテーマ。それが「跳べる」なのであろう。これを離別と捉えるか、またあいまみえるための飛翔と捉えるかは各々の想像に依るところである。


総括であるが、ラブライブとは「最高に楽しいことを」「今、その瞬間に」「みんなで」やる物語なんだと思う。そしてその「みんな」が穂乃果からμ's9人となり、音ノ木坂の生徒たち、ラブライブの大会を通じてμ'sを知った人たちへと広がり、劇場版では全国のスクールアイドルに届き、後世まで影響を残し続けることとなった。それ故にこの作品は真の意味で「みんなで叶える物語」となった。
そして、その先のステージへμ'sが旅立っていくことを予感させつつ、物語の幕は閉じるのだ。




あと、思ったことをつらつらと。
あのラストは自分が思い描いた通り、完璧な終わり方だった。放送当時のテレビシリーズから付き合ってきた身としては、μ'sが伝説になるのを見たかったんだよ。
もうちょい具体的にいえば、人気絶頂のうちに活動を終了したμ'sが、語り継がれる程の存在になるのを見たかった。
そういう意味で、作中ではスクールアイドルの立役者として、生涯語り継がれることになったのは間違いない。まさに伝説になったのだ。
これを言ったらボコボコにされそうだが、実際の声優の方のμ'sも、たとえば次回の6thライブで人気絶頂のうちに活動終了したら、伝説になると思うんだよね。もちろん下火になるその日まで活動を続ける姿を見守るのがファンなんだろうが、アニメ史に残る伝説に立ち会ってみたいと思う気持ちもあるから、複雑ではある。


こんなことを言ってはいるが、劇場版をもって続編の余地もなく、完全な完結を迎えたことへの喪失感は半端ない。
エンドロールが流れた時は「まだ終わらないでくれ…」と願ったし、きっとエンドロール後にまだ何かあると心から願うも、そのまま上映は終了し、劇場が明るくなったときの気持ちは筆舌にしがたい。悲しい。ただひたすら悲しい。生きる気力もない。


劇中歌「SUNNY DAY SONG」のライブシーンの情報密度高すぎ。2回見ただけじゃ全く全容を把握しきれない。そして曲は神曲。これ聴くだけで泣きそうやん。
ED曲「僕たちはひとつの光」もマジで神。歌詞要約すると、穂乃果に導かれてみんなが繋がって、やがて1人で飛び立つって感じか。
要するに、Angelic Angel含めて、早いところCD発売してくれってことです、ハイ。

ラブライブ!ファンミーティング中野2日目昼公演

話は遡ること、木曜日。職場で隣の席のジジイに風邪移された。あ〜死ぬ。
なんか声も出ないし、まじやべーわー。このままファンミに参戦すれば

「し、死んでる…!」



こうなるだろう。
てことで、とりあえず金曜は有給取った。仕事よりもイベントを優先する。それがラブライバーというものだろう。


そして、イベント当日。なんとか回復し、二代目とともにファンミへと向かった。
今回は3列目のほぼ中央という、近年稀にみる良席をゲットできた。これだけでも、通常の倍の金(自分の分と二代目の分)を払った甲斐はある。もっとも、二代目にとっては無料なわけだが←

2年ほど前のラブライブシークレットイベントの時も、相当前の方だったが、当時とは違い、μ'sも今や時の人。9人揃っているところをこれだけの近距離で拝めるということは今後ますますないだろう。
それにこれだけ距離が近いと、今までのイベントとはモチベーションが根本的に違う。これは一世一代のイベントになるであろう。

そして、μ'sicが始まる…。



1.僕らは今のなかで
正面、低い位置から舞台を見ると、μ'sのスカートの中のスコートが見えまくりだった。ずっと頭頂部を眺めていた今までのイベントは一体なんだったのだろうか。



メンバー紹介
近距離で生μ'sを見て思ったが、明らかにえみつんだけ体格が違っていた。まぁ、つまり、強い(確信)
ネットでもさんざん言われていて、写真もよく載っているが、たまたま強そうに見える写真だけ晒してるだけだと思っていた。だが、実際強そうだった。



お便りのコーナー
お便りの内容に沿ってμ's達が答えていく。
ラブライブの影響力を感じるとき
すげー営業トークだ。スーパーコマーシャルタイム。
―他のメンバーの曲で歌ってみたい曲
他のメンバーの曲だから、当然の如くソロやデュオ曲が挙がるが、今後ライブで歌う見込みはあるのでしょうか?あ、そうですか、はい。
自分の中で今後歌われることのない曲ナンバー1は「これからのsomeday」なんだが、ジョルノが歌不在なんだし、今やるなら丁度いいんじゃね?と二代目に言ったら、それじゃあまるでジョルノへのあてつけみたいじゃないか!いい加減にしろ!と言われた。
―メンバーの中で、実際のμ'sと似ている人は?
えみつんが衣装を破壊したことは分かった。強い(確信)
―オシャレのこだわり
そらまるニコスタイルの前髪の角度は35度だそうだが、そこは25度ではないんだな。



演技のお時間
そらまるの芸人スピリットが炸裂。そう、そのにこを彷彿とさせるあざとさに俺は惚れたんだよ。ひたすらチュンチュン言ってるそらまるもおもろかった。芸人は積極的に笑いを取りにいってなんぼだからな。これからも頼むで。
うっちーが模範演技をしている間中、スクリーンに半笑いのえみつんの顔がずっと映っていて、そっちばかり気になってしまった。何笑っとんねんw



ご当地クイズのコーナー
第一問 東京タワーの色
そりゃあインターナショナルオレンジ以外全部食い物の名前だから、3番に決まってるだろと内心思っていたが、二代目が分からないと言っていたので、適当に合わせといた。
第二問 ラブライブHPのあらすじ
μ'sよりもラブライブに詳しいライバー。それは俺だ。
第三問 2話冒頭のカード
くっすんは答えを知っていたが、よく知らないふりをしていたに一票。
第四問 東京の田んぼ
そらまるは東京博士。そして俺たちは東京の農家。



2.それは僕たちの奇跡
最後まで駆け抜けろ!



3.僕らのLIVE 君とのLIFE
かつてないほどにテンションが上がっていく。



4.ミはμ'sicのミ
二代目がうんこ漏れそうと言い残し、戦線離脱した。そして非情にも曲はスタートしてしまった。しかし、物は考えようである。隣の二代目がいなくなったので二席分、広く打てるスペースができたのだ。さらに、ミミミの曲の前には振付講座もあった。これは公式に「(ヲタ芸を)打っても構わない」という許可が出たと解釈して構わないだろう。
そして、僕は、二代目の分まで精いっぱい打った。
あの時、μ'sと僕の動きはシンクロし、僕は10人目のμ'sのメンバーになった―



そして一旦μ'sは退場し、アンコールの時間となった。しかし二代目は依然帰ってくる気配がなかった。
むしろ、自分もうんこ行きたくなってきた。しかし、前列中央に陣取った者として、後ろの者たちにアンコールを完遂する姿を示す責務があった。便意を催しながらも、僕はアンコールを続けた。μ'sが舞台に出てくるのが先か、うんこが出るのが先か。噫無情。

そして、再び降臨するμ's
くっすんのアンコールの舞が炸裂。た、楽しいな、おい!


5.タカラモノズ
知る限りでは、モノズに振り付けがついたのはこれが初めてではなかろうか。
スノハレやノーブラももちろん聴きたかったが、この2曲のレアリティが1だったらモノズは5くらいあるからな。中野公演の中でも今回が勝ち組なのは明らか。
僕はずっとそらまるを凝視していたが、背を向けてお尻フリフリからの振り返ってポーズは殺人的。もしも、衣装がチアリーディングだったら昇天していたであろう。
思えば、アキバでのシークレットイベントでにこを体現したそらまるに惹かれ、その尻を追いかけて今日まで来たようなものだが、改めて尻の偉大さを思い知らされたようである。この尻を見る為に、僕は今日までラブライバーを続けてきたのかもしれない。



帰りにみもりんが是非ともとオススメしていたソフトクリーム食った。
けどな二代目、みもりんのオススメは中野ブロードウェイの中の店だったよ。
あの店全然みもりんのオススメかんけーねー!全然関係ねーよチクショウ。